画文集
被衣女群像

かつぎめのおんなたち  
印度

〈 人の流れ 〉

 人の流れに温度があるなどと言うのは妙な言い方かもぢれないが、最近、街中の混雑の温度が
低くなっているのを感じる。
人は、たしかに多いのだが、各々の顔つき、しぐさが穏やか、言ってみれば無味無臭で、袖をすれ合う際の
熱気が感じられない。
群衆の中の孤独などというが、群集そのものが年を追って冷え冷えとしてきているようだ。
それと人の流れのよどみというか、人だかりを見かけることが少なくなった。

 路ばたで画架をたてている日曜画家と、それをのぞく、にわか評論家たち、縁台将棋を応援する黒山の人、
と言った光景が街のそこかしこで見られたのは、それほど昔の話ではないはずなのだが。
これらの人だかりは縁日の香具師たちのを別にすれば、偶然の時間の交錯が人々を引き寄せた即興芝居の
ような面白さがあった。
今でも人だかりを見つけると、野次馬根性が永い眠りから覚めたように、思いっきり背伸びをしてのぞきこむのだが、
大抵キンキラのプラスチックおもちゃを並べた現代風香具師の口上で、がっかりしてしまう。

 ところで印度の街の混雑は、やけどをしそうに熱い。
人、バス、大八車、人リキ車、牛、ヤギの群れが四方八方、自分の行きたい方向に目の色をかえて突き進む。
気温も高さだけではない。
これらのぶつかり合うエネルギーが沸騰している。
人だかりにもこと欠かない。
路上のビンゴゲームでしゃがみ込む人々とか、ちょっとした立ち話が口論となり、それに通りがかりの人が各々に
加勢して黒山の人となったり、車にぶつかってもいないのにわざわざ車を止めて論争。
後続の数十台の車のクラクションの合唱にも一向にお構いなしなどと言う光景は日常茶飯事だ。
あちらを向いてもこちらを向いても即興芝居。
これもひどく神経の疲れることだ。
 冷えすぎる街も物足らぬし、熱すぎるのも。
どこかに丁度よい湯加減の街はないものだろうか。



〈 ロボット社会 〉

 新聞やテレビなどで最近特に目につくのが「コンピューター」とか「ロボット」とかいう活字である。
もともとこういうものは、とんと縁のないものであるとの自覚のもとに、やむなく画かきの端くれをしている
私でさえこころのそこでは何か不気味な感じを持ってしまう。
 知識はなにもないのだけど、「コンピューターを使って絵を描くことができる」だの「ロボットと失業問題」などと
いう大事がちらっと眼に入ると「おやっ」と思い、「やはり」と考え込んでしまう。
「失業」とは「仕事がない=収入がない」という状態なのだろうが、収入のことはともかくコンピューターやロボットの
発達は、それらを創り出したり、使ったりする人以外の人々を「何もすることがない」状態に追い込んでゆくことだけは
確かなようだ。

 何もすることのない人は一体何をするのか、と考えてしまうが、こんな問答はロボットを創り出すほどの
先生方のことだから、とっくに答えを出してくれていることなのかもしれない。
 ただ門外女(?)の私が思い浮かべるのは、印度の街並みで見かける「何もすることがない」ようにみえる
無数の人々の群れである。
それでいて、この光景は何もパニックの様相でもなく、ごく自然な調和の取れたものに感じられるのは
何故だろうか。

 無知と独断を覚悟でいえば、やはりカースト制度を背景とする「分業の知恵」が働いているせいではないだろうか。
「何もすることがない」ように見える人々も、ここでは何かしらの「うすめられた分業」をしている。
 それはアルバイト的なスイーパー(掃除人)とかダルワン(門番)とかいった、種々雑多な職業に分化している。
彼らの労働力は一見非能率そのもののように思われるが、それが潜在的失業者の救済という大きなバランスの
上に立っていることが、社会の安定につながっているようだ。
 しかしそうした社会構成を支えているのは、何といっても彼等の「生活に対する考え方」だろう。
ある人が「彼らは『今回の人生はトランプでいえばパスをしているのだ』といっていたが、これは淋しすぎるとしても、
彼等には身についた傍観があることは確かであろう。
それは社会の活力を削ぐものではあろうが、一方で「ゆとり」に通じるものが感じられる。
 日本と印度との対比をここで大上段にふりかざすつもりはないが、コンピューターやロボットの入り込む余地の
まったくなさそうな印度に、案外未来のロボット社会の「答え」が潜んでいるような気がする。

〈 人のフォルム 〉
 
 知り合いのネパール人夫婦が日本にやってきた。
かれこれ十三、四年のつき合いで、私がネパールに旅する時は、彼らのだだっ広い家に泊めてもらっている。
 そんな仲なので、こちらにきた時は、せいぜい泊まって下さいといいたいところなのだが、あいにくとコンクリート
ジャングルの猫のひたいほどの空間、おまけに都心には足場がもうひとつということもあって、受けた親切が
返せないのが本当に残念である。

 言い訳がましいが、これが日本の住宅事情なのだといって遠慮してもらい、泊めてやれないのだから、
せめて食事ぐらいはと張り込むと、これがあっという間にウン万円?になってしまう。何のことはない。
財布の底ははたいたのに、有り難みは大したことなく、まったくもてなしの経済効果という点では
東京は最悪の環境にあるようだ。

 ところで先夜、彼らと一杯やりながら、話のタネに私の素描を見せた。
ダンナの方は働き盛りのビジネスマン、二人とも絵の世界にはまったく縁のない人たちである。
 ダンナ曰く「これは、市場でさっぱり売れないもの売りの女だよ。なぜなら悲しい眼つきだ」。
奥方曰く「これは夕飯の献立を考えているポーズね・・・」
再びダンナ「こっちは、亭主を追い出した顔だ、だって執念深そうに横目でにらんでいるよ」
「こちらはトイレでしゃがんでいるところだな。上目遣いで落ち着かない様子だもの」といった具合に寸評。
 
 そのユニークな発想に私も思わず笑ってしまったが、同時に私の作品を見て下さった日本人の方々の
感想を想い出した。
「神秘的」とか「思索的、哲学的」あるいは「安らぎ、哀しみ、けだるさ」といったものが多かった。
私自身も形を追及してゆく過程でそのような思い入れをして描いていることが多い。
けれども、考えてみれば、案外ネパール人夫婦の寸評の方が実態に近いに違いない。
それはそれでよいのだろう。
こうとしか取り様のない絵、コンピューターのコード番号のように、決まったイメージしか
送り込まない絵があるとしたら、なんと退屈なことだろう。
人は何の変哲もない木石にさえも自己を投影して感じることがある。
まして人のかたちは、かたちそのものが千差万化するばかりではなく、それを見る人も独自の見方、
感じ方をするものである。
私が人物画を描くのも、絵と観者との、人のフォルムを通じての共感や、反発の織り成す交電のような
出会いに奥深い楽しみを感じているせいである。


〈 鳥の世界 〉
 
 近くのデパートの最上階にガラス張りの吹き抜けがあって、そこに鶏だとか、孔雀とか十数種類の鳥たちが
飼われている。
最上階は食堂街で、鳥小舎と食欲とは、どうしても結びつかない。
無視と相反すつもののように思うのだが、誰か突飛なその発想のおかげで動物園に行かないで済んでいる。
 夜半のビル街の一角で、ぬめぬめとした羽毛を着込んだ鳥たちが、餌をついばみ、水浴びをしている光景は、
ひょっとして人類が消え去ってしまった後を見ているようなちょっとした戦慄がある。

 花鳥風月などと鳥だけを動物の中で殊更趣のあるものと見做す心も判らないこともないが、しげしげと
このデパートの鳥たちをみていると、むしろ禽という語感の持ついかつい、ある種の獰猛さを感じてしまう。
 眼だけが鋭く無表情な頭部、石の上にも跡が残りそうな、がっちりした足元、そしてコマ落としの映画のような
不連続な動き等、矢張り空を飛ぶ生きものは、地上の動物とまったく違うのだなと、いまさらながら
感心してしまう。

 ところで印度でよく見かける鳥といえば、なんといってもカラスである。
豪邸の庭先の孔雀とか、市場の生きたニワトリとかもよく目にはつくが、街のそこかしこのどの光景を
切り取ってもカラスのいない断片はない。
 カラスは不吉な鳥だとか、悪者扱いされがちだが、牛の頭に飛び乗って牛の耳垢をついばんでいる様子とか
(実際はどうか知らないが牛たちは側女に耳をほじらせているようにのんびりしている)、
裏街で、残飯を漁っている姿をみていると、ここでは人もカラスも大きな輪廻の中で一緒に生活している事実に
いじらしさが先に立つ。

 人と足りといえば印度では鳥とそっくりな顔、かたちの人に会うことが多い。
鋭い三白眼とわし鼻、そして長い手足の指先に力をこめた老婆などを見ていると「人間」という退化した
動物というよりは「禽獣」に近い感じがする。
しゃがみ込んでじっとしている彼女らが、何を考えているのかは、鳥の頭の中をのぞく程、遠く判らないものに
思われてくる。
この国でごく自然なかたちで「輪廻転生」が、信じられいているのも、現実にこのような「人」の
かたちがるせいだろうか。



〈 市場もよう 〉

 新聞に、関西のあるスーパー店が、買い物客の買い物相談員として、近隣の主婦をパートとして
雇い入れたところ大繁盛をして、どんどんこの方式で店を拡大しているという記事が載っていた。
 無人化、省力化という大きな流れの中でこうした発想をし、しかもそれを採算に乗せるこの経営者の手腕に
感心した。
実際、日々の買い物という、家を預かるものの最大事業の場が、スーパーという「市場」しかなくなりつつあるのが
現実である。
 機能化されつくした空間の中で、客は青白く無表情な顔をして、ロボットさながら棚から商品をカゴへほおり込む。
音といえば、冷凍機のモーターだけが低くうなり声をあげ、人声は全くしない。
人と人との出会い、、目的を達そうとする能力と能力のぶつかり合い、コミュニケーションはこの「市場」には一切ない。
日々の最も大切な場は孤独な作業場となってしまっている。

 ときたまスーパーのならぶ谷間に昔ながらのたたずまいで、もみがらの中にちまちまと卵の並べられた
店先などを見かけると、思わず中へ入って声をかけたくなる。
そんな店も目に見えて減ってきている。
 ところで、印度のカルカッタにあるガリハタマーケットやニューマーケットに足を運べば、「市場」の原点を
目の当たりにすることができる。
迷路のように立てこんだ通路の左右にひしめき合う八百屋、魚屋、雑貨屋。
血なまぐさい殺戮と死の匂いを漂わせている凄惨な食肉市場。
しに切れずもだえている動物たちの息切れが聞こえる。

 その店先で取り交わされる怒号のようなやりとり、買う方も売る方も額に脂汗をにじませて必死だ。
あごをしゃくって横柄にふっかけてくる挑発的なヒゲ男。
どこまでもまとわりついて来る店案内。
彼らは客の宿敵であり好敵手だ。
そのやりとりを通じているうちに、いつのまにか奇妙な絆が生まれてくる。
 昨年、十年ぶりにニューマーケットの八百屋に行くと全く同じたたずまいの中にかつての私のヒゲの
好敵手は健在だった。
彼も私を覚えていたが、余計な挨拶は抜きに「マンゴ、ほら昔買っていたマンゴ、今日は飛び切り安いぜ。」
「だめよ。ふっかけちゃ。ガリハタじゃこの半値よ。」
と、時の流れがうそのような会話がはじまった。

〈 ソフトフォーカス 〉


 最近は東京でも空気がきれいになったせいか、空は青いということを教えてくれる日もあ るようになった。
ビルの谷間から見える青空も、青空には違いなく、人の心を軽やかにしてくれる。
「青空」という語感には何か晴れ晴れとした生活の幸福感につながるひびきがある。
 ただ印度の「青空」は全く違う。
丁度紺青のペンキで眼の玉をべっとりと塗りつぶされたような、暴力的な「青空」だ。
果たして自分は空を見ているのか、海の底にいるのか、全く何も見えていないのではないか、
という恐怖感すら感じる。
「空(そら)」と「空(くう)」の意味するところが同じ無窮の宇宙空間であることを、物理学音痴の私にも
直感として感じさせるのが印度の空(そら)である。
そんな空からは幸福という連想は浮かんでこない。
「青空」も「幸福」も所詮はソフトフォーカスレンズのかかった光景に過ぎないことが、印度の空を見ていると
よく判る。
 同じように例えば、新緑の季節というと、若々しいキラキラした響きを感じるのだが、印度で緑といえば、
常緑樹の分厚くは脈の盛り上がった葉むらしか浮かばない。
 緑は眼に優しい色として病院の壁の色などに使われているが、空だが弱っているときにこの樹々の緑を
見ていると胸が使えてくるほど強い。
 その他、赤い花々や「藍」など印度で見かける色は、その色の本来持っている色(というい方もおかしいが)
であることに驚かされる。

 サリーなどの色調も、原色ということばかりではなく、色の本質そのものをまとっているといえる。
 言葉と本質の一致という点では、この国の風土は「色」だけに限らない。
ラジャスタン地方のタール砂漠で見た夕日は両手を拡げても入らないほど大きく、まさしく太陽そのものだった。
 月も星も一つ一つがていねいに磨き上げられた貴石のように輝やき、日本で見ていたのは、実は
くもり硝子越しだったのかと思う程はっきりと違っていた。
 そしてもやのかかったような優しい風土の中で育まれ通用している日本人の言葉も意識も、印度の自然に
立ち向かうには、余りにひよわく、壊れやすいもののように思えてくるのだった。

〈 あとがき 〉

 大きなジグソーパズルがある。
 パズルの小片はどれもどこにでもぴったりはめこめるので、そして千変万化の形ができあがってしまうので、
この小片をどこにへまたら良いか迷ってしまうパズル。
「認識」を求めない無垢な幼児たちだけが小片を自由自在にはめこんで、できあがってゆく形をただ楽しんでいる。
 このパズルには本当は「答え」はないのかも知れない。
物心ついた頃から「感覚」を「認識」の中に閉じ込めようとする教えを受けてきてしまったものにとって、
このパズルは手に負えない。
いっそのこと黙ってパスするか気軽に小片をつまみとって、手の動くまま、感覚の赴くにまかせてとにかく
はめこんでゆくか、どちらかしかないようである。
「印度」というジグソーパズルは私にそんな選択を迫るのだ。
 概念として「印度」うぃ語ろうとすると、途端に現実離れした大仰な言葉の羅列になってしまうのはおよそ
パズルらしからぬパズルに挑戦したつもりのパズル好きの、というよりは答えを出さずに入られない日本人の
証なのだろうか。
それとも、天竺以来の日本と印度の「お題目」だけが先走った皮肉な起案形によるものと考えるのはちょっと
おおげさに過ぎるだろうか。
 ただこのパズルの一片・一片は何の変哲もない世界のどこにでもいる「生活する人間」であることに
変わりはない。

 所詮パズルに正解がないのなら微細な小片 − それでいて重たい存在感のある − の一つ一つを
自由にはめこんで、「私なりの印度」をつくりあげてゆきたいと考えている。

                         *      *

 身に覚えがないとは言わない。
 たしかに手は「女のかたち」を描きたがっていた。
ただ、これらの絵がなぜできたのかは私にとって不可思議だ。
意識の底の冥いところから吐き出された糸を紡いでいたら絵になった。
 しかし描くという孤独な営みは、無性に人を恋しがる。
絵という魔物を介して心底から人と語りたい。

昭和五十八年八月  田村能里子






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