〈 2008年2月11日 〉
このところ東京は雪が時折ちらついたり、底冷えしたりとまさに寒中。
スタジオでは暖房があまりきかないので、
使い捨ての貼り付けカイロを体にべたべた貼って、
動き回っている。でも筆やローラーを洗う水は、凍えるように冷たい。
お湯を沸かし手を温めながら仕事をつづける。
この一ヶ月で漸く全体の仕上げの段階に入ってきた。
本堂の入り口から上がって左にある最初の部屋
(全体からは中央から一番右は下間(下の間)という)。
ここは「あけぼの」がモチーフだ。
以前レポートしたように、追加の六枚の襖戸が
一番初めに眼に入ってくる。
山裾の稜線からわずかに顔をのぞかせる赫々とした太陽。
黄金の光が山襞を波打つように流れ出ていく。飛び立つ鳥は九羽。
陽の光が飛翔する羽から透けて輝いている。
九という数字は名となく私の好きな数字。

 KYUUは無窮の窮であり、よく知らないのだが、仏教では吉数とされているようだ。
 それよりもこの空間の中には九羽が一番納まりがよい、というのが最大の理由。
 この面には人はいない。
 正面からはじめて生成り単衣に身を包んだ僧侶らしき男性や、女性が登場する。
 人々の生活のはじまり。

 左面に移って何かを挽いたり、水汲みに出かけたりしているような老人や女性たち。楽器を楽しんでいるような人。
 この「あけぼの」の間にかぎらないが、人物の形以外の具体的な「もの」は一切描いていない。
 壷や穀物、食べ物のようなものの影が風紋に見え隠れしている。
 観る方たちとの対話やみなさんの想像力を楽しみにしている絵にした。
 「これって何だろう。太古の麦束のようなものかしら」「何をこねているのかな」
 「風琴の形が見えないけど手つきからは細長い太鼓か琴をかかえているのかな」。
 なんでもいい、そんなほっとするような想像力や会話が交わされるといいな、と作り手としては画面の陰から、
 ちょっぴりのぞいている感じだ。
 次に左に進むと中央の間(室中ーしつちゅう)に出る。ここは「陽光」のモチーフ。陽が高い真昼から雲のではじめる午後の時間。
 両脇は子供の手を引いた母親らしき女性。
 しゃがんで何かを読んでいるような、物思いにふけるような女性や老人、
 たむろして何かを中心に賑わいをみせている人々らが配されている。
 正面の両脇は腰紐をしめた生命力の塊のような子供たち。
 中央は、たおやかで力強い女性像が奥(内陣)のご本尊の如意輪観世音菩薩をお守りするようなポーズで立っている。
 三面すべてに風が吹き、風紋が流れている。遠い峰の向こうには雲が湧き、鳥の群れがどこかに向かって飛んでいくのが、
 かすかに見える。

 
  この「陽光」だけではなくすべての空間に共通して表現しようとしたものは、大河のような悠久の時の流れであり、
 終わりとはじめのない自然と人の命の連環である。観る方が人の姿に誰かの面影や
仏陀や菩薩のイメージを
 いだいていただけるのでもいい、茫漠とした山河に自分のふるさとを重ね合わせて感じていただいてもいいな、
 と作者はつぶやいている。
 中央左の部屋は上間(かみのま)という。イメージは「黄昏(たそがれ)」。赤砂岩の岩肌と風紋、
 稜線の向こうには無窮を思わせる紺碧の空が張り付いている。
 一番奥にはちょうど下間の日の出に対応するように、下弦の月が銀色に輝いている。人々は何かにもたれかかったり、
 安らぎながら眠りにつこうとしている。もうごろりとうたた寝をはじめている老人もいる。夜の帳はそろそろ下りようとしている。

 それぞれの間にはそれぞれのテーマカラーがある。赫々とした下間。黄色とグレイと赤の室中。褐色と紺青の上間。
 本堂に上がったときに目に入る三つの空間にある襖絵を言葉で表現してみた。
 あとはそれぞれの奥の間となる下間・内陣(ご本尊のあるところ)・上間の襖絵が残った。
 下間・上間はそれぞれ「夢の中の時間」というイメージ。西陣織りのような色感覚の色帯に自家製唐草模様を配し、
 蝶が自由に飛んでいるまったく夢世界を描いてみた。夢とは繰り返し、思い出のようなものだから、
 規則正しい(それでもどこか違う)
 時間の流れと、蝶の乱れ飛ぶ不規則な時間が交錯する華やかな夢。
 前面の悠久のときの流れとの対比にしたつもりだ。
 内陣の襖絵には彼岸の時間が流れているイメージからすれば、何も描かないという考えもあった。
 けれども襖絵全体の調和を考えて、バーミリオン・金を重ね塗りした地肌の上に命の代表選手として
蝶の群れを飛ばした。
 菩薩の周辺を黄金の光の中で蝶が群れ飛ぶ構図となった。
 
 以上全五十八枚の襖絵はほぼ筆置き(完成)の段階に近づいてきた。
 想を練り始めてから二年、実際にとりかかってから一年半。あとは署名と一番大事な「命名」が残っている。
 作者にとって完成とは制作の終焉であり、作品との別れである。
 数日後に私がいつくしんできた五十八枚の絵は襖に仕立てられるために、
 京都の襖職さんのところに送られる。その別れの日が近づいている。
 安堵と切なさと不安とが交錯する複雑な心境になっている。
 
 
 襖絵には枠と引き手が必要だ。枠は以前からかんがえていた古代朱とエンジをまぜた色見本をおくってもらうこととした。
 引き手は結局出来合いのものではなく、自分が自らデザインしたものを職人さんに作成してもらう特別注文とさせていただいた。
 襖絵自体がキャンバスにアクリル、描き手も洋画分野で女(のはしくれ)とくれば旧来のもので似合うものがありえようもない。
 自分でデザインしたのは襖絵にはでてこなかった動物たちのレリーフを彫りこんだ引き手。
 鳥・牛・象・馬・駱駝の五種類、全五十四枚の
デザインを職人さんに送り出したところ。
 それぞれのデザインにはこんな注釈がをつけた。
 
 小動物の表情ですが、細部にこだわらりすぎて、硬くならないこと。ときにユーモラスなほっとする顔も。
 鳥も細部を気にしすぎると、もっこりなりやすい。鳥が一休みしている感じ。力がはいってグロテスクにならないように。
 アウトラインやレリーフの凹凸・ふくらみ陰影が美しく出るように。
 デザインはあくまでも原図。本物とおなじということにこだわらないように。
 
 悠久のときの流れの中で、自分の濃密な時間がすぎていく。心の秒針が力強くきざまれていく。制作三昧の毎日が楽しい。
 楽しくなければ、やっていけない。


 〈 2008年2月17日 〉

 全貌が見えてきた襖絵を前にして枠や引き手が装着され、堂間にすべて設置された状況を
 もう一度眼の中におもい浮かべてみる。
 照明はどんな風にしたらよいか。襖絵の立つ畳間の縁の色調はどんなものがあうのか。
 絵以外の周辺の色やたたずまいも気になる。あとはお寺の方々、工務店と打ち合わせをしなければ。
 まだまだやらねばならないことが沢山あるようだ。
 描いている間中、頭のなかに浮かんでいたのは、禅寺の本堂という空間をどうとらえ、考えるかということだった。
 ご本尊をまつる宗教的儀式・行事がおこなわれるところでもあり、高い格調や品位は欠かすことができない要素ではある。
 修行する道場の中心的空間といえないこともないだろう。
 けれども私はそういった要素をすべて備えていながら、それらを包み込み込む優しさに満ちた空間だということが、
 一番重要なことだと感じていた。

  一昨年の秋、シチリア出身のイタリア人の友人夫婦と南イタリアを少し長旅をしたとき、ポンペイの遺跡にはじめて立ち寄った。
 いまから2千年も昔の町が、そっくりそのまま現代に残っている奇跡
にもびっくりしたが、私が息を飲んだのは
 遺跡のはずれにある「秘儀荘」と呼ばれる邸宅に描かれた古代朱(といっていいのか。
 ポンペイレッドと呼ばれている)の壁画の部屋だった。秘儀の真意はいまだに定説がないようだが、
 その謎に満ちた深い華麗な絵肌に見入ってしまった。
 イタリア人の友人によるとROMA前期の時代これらの建物はDOMUS(日本では邸宅として訳されていることが多いが)
 と呼ばれ原意は「人生の限られた時間を楽しく過ごすための、喜ばしきところ」
という意味だという。
 このDOMUSにいたってはじめて建物が防塞以上の意味を持つ「住まい」となり、壁画も描かれるようになったのだ、という。
 そうだ、壁画も襖絵も「喜ばしきところ」にあるべきものなのだ、とその時強くおもった。
 装飾アートの真髄はいかに「喜ばしきところ」に相応しい、あるいはどんな空間をも
 「喜ばしきところ」に変えてしまうほどの力のあるものでなくてはならない。
 そうでなければ壁はただの壁紙一枚で足り、襖も白紙で十分なのだ。
 本堂もDOMUSの原意とまったく異なるところはない筈だ。
 人々がその「喜ばしきところ」に集い、よい時を過ごす、そのための襖絵なのだ。
 描いている間、そのことを考えていた。
 もっとも全体の色調がポンペイレッドに近い仕上がりになったのも、21世紀を経て出あった壁画と同じように、
 襖絵も千年を隔てた未来の出会いを、夢想しながら描いていたせいなのかもしれない。



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