【人間発見】
「壁画に美神が宿るC」
一九八六年、文化の芸術家在外研究員として中国の北京中央美術学院に留学した。
四十台の初めに新たな転機がありました。
ある美術展のコンクールでグランプリに作品が内定していた私は審査員に呼び出され、受賞が取り消されたのです。
規定のサイズより数センチ大きいと、クレームがついたのです。
「絵の価値は大きさではないのに・・・。」
と気持ちがなえかけていた時、文化の留学生制度に私が推薦されたという知らせを受け取りました。
四十歳を越えてからの留学なんて考えてもいませんでした。
それでも、シルクロードの壁画を一度は見てみたいという興味から、この留学に飛びついたのです。
北京での授業を一通り終えたところで、約四十日間の西域への旅に出ました。
■中国留学、シルクロードを旅行 老人の美に引かれる
北京から西安へ向かい、敦煌を経てトルファン、ウルムチに入り、カシュガルまでの約五千`の旅程です。
女独りの気ままなシルクロードの旅とはいえ、現実には約三十`の画材道具を引きずり、
砂嵐の中を汽車やバスに乗り継いでの厳しいものでした。
おまけに、言葉が通じず、予約や予定が一切立たない土地柄です。
それでも、中国の最西端の街カシュガルには、どんな美女が持っているのだろうかと胸をときめかせていたものです。
ところが、そこで私が出会い、絵心をかきたてられたのは、美女ならぬ、とても味のあるいい顔をした老人たちでした。
ポプラ並木の間をラクダが行きかう素朴な村がある。
イスラム寺院の傍らに座り込んで談笑する人、砂の粗壁にもたれて日差しを楽しむ人。
みな一様に白い単衣(ひとえ)にひものベルトを巻き、おしゃれなモスレム帽をかぶって、
サンタクロースのような白ひげをたくわえている。
中央アジアの少数民族の興亡の歴史が、顔やての深いしわに刻まれているようです。
けれども、眼差しや顔つきは本当に穏やかで、自然と同化した「美しい老い」の形に出会えたのです。
もののあふれる都市文化の中で漂流するように生きている自分からは想像もできない、
この美しい老人たちを、紙切れがなくなるまで描かせたもらいました。
■西安のホテルに第1号作品 日中友好の願いを込め制作
八八年、日中合弁事業で建設された西安のホテル「唐華賓館」のロビーに「二都花宴図(にとかえんず)」が完成。
田村さんの記念すべき壁画第一号であった
文化省からの中国への初めての留学生ということで、現地の新聞記事に紹介されました。
それを見たホテルの経営者から、壁画を制作してくれないかという依頼があり、私は二つ返事で引き受けました。
異郷の、しかも建築現場という男の世界で、制作に延べ一年半かけました。
西安は砂漠の入り口にあり、大変な気候の土地。
冬は零下一〇度以下、夏は四〇度以上の極寒酷暑の吹きさらしの中での仕事です。
「日本から出稼ぎに来た、かわいそうなペンキ屋さん」とうわさになり、
中国人の工事関係者が何人も壁画の足場に集まってきました。
焼き芋や温かい肉まんを差し入れてくれたり、トウガラシを靴の中に入れたらいいと、
温かくなる方法をいろいろ親切に教えてくれたりしました。
気の毒に思われていたようですが、本人はいたって好奇心旺盛で、楽しい気分だったんです。
何にもないゼロの真っ白の壁と対話しながら、何かを生み出すのは至上の喜びでした。
壁にさえ向かっているば、寒いの暑いのってあまり気にならなったですね。
ホテルのロビー東西南北の四面の巾に合わせると約六十bに及びます。
シルクロードを行くラクダの隊商と、大和の里で遊ぶ童を組み合わせ、西安がかつて唐の時代に繁栄した長安であることを
象徴する絵柄で日中友好を表現してみました。
九二年には、訪中された天皇・皇后陛下にも見ていただく機会がありました。
現在、観光バスで、長安の歴史遺物とともにこの壁画も紹介されているようです。
「わが子の活躍」についうれしくなってしまいます。