田村能里子オフィシャルホームページ:過去の掲載記事婦人公論
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婦人公論 
2000年6月7日号掲載

 おしゃれに生きる天才・森瑤子のことを、いつまでも語りたい 

私は彼女に出会えて、本当に幸せでした。
人生を楽しむことを教わり、彼女の前では顔も気持ちもすっぴんでいられました


彼女と初めて出会ったのは、八〇年代の初めです。
私の高校時代の先輩の出版記念パーティーがあって、私は司会役を仰せつかったのですが、
そのときスピーチをなさったのが、森さんでした。
始まる前に「司会進行をさせていただく田村能里子と申します」とご挨拶したら、
「あら、あなたなの。私、あなたの絵を二枚も買ったのよ。高かったわ」なんて言ったんですよ。(笑)
その日はそれで終わったのですが、数日後「ちょっとあなたに会いたいのよ」と電話がかかってきてました。
ホテルでお会いして、そのとき
「あなたの絵には風が吹いているわね。私の文章にも風が吹いているの。だから、あなたの絵、好きよ」
と言ってくれたのです。私も、
「あ、この人は同じ感覚の持ち主だな」と感じて、すごく意気投合しました。
以来ずっと仲良くできたのは、好みや価値観が同じだったからでしょうね。
それは本当に幸せなことだったと思います。
年齢が近いこともあって、彼女の前では顔も気持ちも、すっぴんでいられました。
お互い、ものを創るという仕事をしていますから、説明をしなくてもわかりあえる部分もありましたね。

楽しむ天才だった
森さんから学ぶことはたくさんありましたが、とくに、人生をまるごと楽しむという姿勢には影響を受けました。
好奇心がいっぱいで、あらゆるものにアンテナを張っていました。
みんなでおしゃべりをしているときでも、普通の人なら、ぼんやり聞き流してしまうような言葉にパッと反応して、
「その話、おもしろいわ。ネタになる」とか「あ、その話、ちょっといただき」と断って、手早くメモをするのです。
そうやって書きとめておいたものを上手にふくらませたことも、すばらしい作品をたくさん創ったり、おしゃれをしたり
旅行をしたり、全て自分の肥やしにしていたのではないでしょうか。
(中略)
私たちの合い言葉はいつも、「時間がないもんね」だったんです。時間がないからこそ遊ぶのよ、
おしゃれをするのよ、というかんじでがんばっていました。
遊ぶことを楽しみに仕事に励んでいたようなところがありますね。
ふたりで遊ぶときには、できるだけおしゃれをして、その気になって楽しもうと決めていました。
遊びのアイデアを出すのは、だいたい森さんで、
「いま、こういうプランニングしているの。能里子、あなたはこういう役目よ」というファックスがよく届きました。
彼女はアイデアが豊富で、しかも型どおりじゃないんです。
(中略)
彼女は楽しむことの天才でしたね。
魔術師のように、なんでも楽しいことに変えてしまうんです。ほめすぎと思われるかもしれませんが、
彼女のことはたくさんほめてあげたいものですから。

私のこと、忘れないでね
私は彼女に出会えて本当に幸せでした。いい女、素敵な大人の女でした。
ちっとも気取ったところがなくて、ざっくばらんでおおらかで、それでいて繊細でやさしくて。
派手な感じに見えましたけれども、本当はいつも人恋しくて寂しくて孤独でした。
だから、遊びのプランをたくさん考えて、多くの友人や知人を巻き込んで、まるごと楽しもうとしていたんです。
私自身は彼女がいたから、寂しくなかったのですが・・・。
森さんはなくなる直前に「私のことを忘れないでね」と言ったんです。
こうして思いで話をしていると、彼女がはにかみながら笑っているような気がします。
彼女を語ると言うことは、彼女はまだ生きていることになりますから、
私は、死ぬまで森瑤子のことを語りつづけたいと思っています。