〈 2008年8月1日 〉
4月にスタジオから搬出されて以降、襖スタジオ便りも
途絶えてしまっていましたが、
漸く京都での職人さんによる襖仕立て・引き手も完成し、
7月はじめに建造中の宝厳院本堂の中に畳も一部敷いて
全58面を仮設置していただいた。
本堂は屋根は完成したが、側壁面はまだできておらず、
電気系統もまだなので、自然光のなかで感じをつかむ段階。
本堂の眼の前には回遊式の庭園の緑が広がっており、
蝉の声が寺全体の空間に満ちている。
出来上がった襖絵は6部屋に分かれるが、
正面の3部屋は本堂の前廊下からすべてが見渡せる。
本来の形におさまった、光景をはじめてみた瞬間、思わず息を呑んだ。
スタジオのときは、この空間を想像しながら描いていったのだけれど、
置かれてみるとそれはまったく初めて見る光景のようにどーんと眼の中に飛びこんできた。
「そうか、これだだったんだ」。なんだか「おおー」っと叫びたいような衝動に駆られる。
襖全体の赤い帯状の色調と青畳と畳縁の組み合わせが、
この取り組み以外には考えられないほど美しく感じられた。
この赤がなぜお寺に馴染むんだろう。スタジオで描いているときから考えていた。
ここに立って、ふと以前自分が訪れたシルクロードの奥のベゼクリク千仏洞の壁面に描かれた
一面の朱を思い出していた。
あの色はもともと寺院の色だったんだ。
改めて納得。
![](358.jpg)
襖のふち(枠)の色も濃いエンジ色で画面を引き締め、空間になじんでいる。
この色にしてよかった。職人さんもうなずいていたっけ。
自分がデザインした五種類の動物(象・牛・馬・ラクダ・鳥)の「引き手」も
丁寧に黄金色に仕上げられ、
襖のアクセント色として見事な効果の光を放っている。
今までに見たこともない光景だ。
襖仕立てになったところをチョット前に見た和尚様から電話で
「はっとするほど迫力のある襖絵です」と、
お褒めのことばをいただいたが、実物を見るまではと思っていた。
今ここにいて実物に出会い、これなら和尚様に気にいっていただける、と確信した。
奥の内陣へと回る。
ここは自分では「夢の中の時間」として、自分流の唐草模様や
花模様に蝶を飛ばす図柄にしたが、
これもぴったりと収まっている。
ただ(想像はしていたことだが)いままでの襖絵にはないような、華やぎや明るさがある。
「禅寺というのは本来は派手なものなんですよ」といつか和尚様のいわれた言葉を思い出す。
ここもずっといたいような気分になる。
正面にもどると、9月の個展用の写真撮りに数人のスタッフが見えていた。
「迫力あるけど、なんかほっとする空間ですね」と、どなたかがつぶやいた。
そう、それよ私が描いたのは、と思わず心が膝をたたいた。
「気分が楽になる」「ほっとため息がでる」「生きてるって悪くないな」「なんだか元気をもらった」
「今、生きてるってことはすばらしい」
難しい理屈よりも、絵画論よりも、絵を見た人から自分の聞きたい言葉はそれなんだ。
今までも、今も、これからも、私がいなくなったあとも。
セラピーという言葉はやや俗化されて、たやすく使われるようになってしまったので、やや抵抗感があるが、
イタリア人の友人からこの言葉の本来の意味は「本来の自分を取り戻す」ということらしい。
ちょっと気障だが、自分の目指してきたことが「永遠のセラピー」になればいいな、と思っている。
あとは9月中旬からはじまる個展の準備と年末の本堂完成(照明のことなど)の予定が待っている。