〈2008年2月11日〉
厳寒の2月半ばから3月の温みが感じられる後半まで、
今年は寒暖の差があったり、早春が行きつ戻りつするような
気候だったので、体がスムースに対応するのが難しいときも
あったが、リズムをとって、スタジオ通いをつづけた。
すでに仕上げの段階に入って2ヶ月目、
物理的な制作のペースはグンと落ちたが、
襖絵の一枚一枚を自分の体の中に入れる
(というか、焼き付けるというか)ような細かい作業がつづく。
この期間大きく変化し、最終的な姿を現したのは、
ご本尊(観自在観世音菩薩)のおかれている「室中」を
取り囲む10枚の襖絵。
裏手(つまり10枚の襖絵の裏側)の襖絵は、
「夢の中の時間」を表す不連続な花々や蝶の
舞うパターンとしたのは、今年のはじめごろだったろうか。
「夢の中の時間」の裏側は、此岸と彼岸の間の世界、
あの世とこの世のあいだ、間の世とでもいおうか。
もっとも間と世をひっくり返せば、世間となってしまう。

 それほど世俗と聖俗とは背中合わせのものなのだな、と感じつつ筆をとる。
 まず一面のバーミリオンレッドが燦燦と輝く。
 その上から金色のヴェールをかける。金色の合間から、生命の名残が顔を覗かせるイメージ。
 そして生命の名残りの象徴として、蝶と桜花がご本尊をとり囲んで乱舞する、それもつつましやかに。
 これを描き終えてしまえば、あとは筆置き(サイン)が待っている。それはこの襖絵と作者の決別のときでもある。
 そんな段階になると、制作時間のお尻は切られているのに、なんだか別れのときを引き伸ばそう、もっと彼らの中に埋没していたい、
 そんな未練が沸いてくる。
 どうしようもない未練、ひと筆ごとに、後戻りすることのない時間と、別れの時間が迫ってくる。
 切なくやるせない時間を窓のない部屋で過ごすうち、周囲は桜花のほころびる季節を迎えた。

 3月半ばに京都から襖職人さんと、引き手職人さんのご一行がアトリエにこられた。
 襖仕立てにするための最終打ち合わせと、襖枠の色の取り決め、引き手サンプルの確認などのために。
 いよいよ仕上げ作業の段階が来た。枠色は絵肌との調和、照明などを考慮して深いエンジ色にする。
 引き手は以前に作者から依頼した動物の原画にもとずいたレリーフのサンプルをもってこられた。
 象、牛、馬、駱駝、鳥の5種類の動物。
 どれも原画に忠実なすばらしい出来栄えでうっとりしてしまった。
 絵描きの気ままな素描をもとにして引き手の大きさの中に、形を収めることの難しさ、手間は想像を絶する。
 「チョットえろうおしたけど」やんわり笑いながら職人さんはおっしゃった。
 おそらく世界で初、この世に二つとない引き手となる。
 引き手の入る54箇所の位置を定めて制作に入っていただくことにした。
 作者の私にもサンプルひと組いただけないかしら、記念にアトリエののどこかに飾っておきたいの、よろしおす。
 いよいよ筆置きのときが迫ってきた。
 絵の題名はこの仕事をお引き受けした3年前からずーっと考えていた。
 けれども私の場合、モチーフを厳密に組み立て、エスキースや下図をしっかりと描いて仕事を進めることはしない主義。
 いい加減に聞こえるかも知れないが、その場の雰囲気から沸いてくるインスピレーションを大切にしながら、
 出たとこ勝負でやってきた。題名というものが中身を象徴するもの、ということであれば
 私の場合は、出来上がってみないとわからない運命にある。
 けれどもこの半年、およその山の全貌が見え、描くべき道筋、方向が見えてきた頃から「題名」が集約されてきた。
 この筆置きの段階にいたって私の題名はゆるぎないものとなった。
 「風河燦燦三三自在」(フウガサンサンサンサンジザイ)。聞きかじりでは禅宗は「不立文字」の教えとうかがった。
 文字で説明をしたり、文字で教える「教え」ではなく、自ずから感得するものだと理解している。
 だからこの題名も多くの説明をするつもりはない。
 ただ独りよがりのそしりをうけないために、作者の意図をちょっとだけ。
 
風河は字面より当然のごとく、大自然の広がり、
悠久としたときの流れ、大いなる包容力を現している。
燦燦は太陽が、月が大自然を明るく照らし出し、
命をはぐくむ様相を代表する言葉。
三三はこの襖絵に描かれた33体の「人のかたち」・
いのちを営む個体。
33とは観世音菩薩が、この世を救済するために33変化して
姿を現す、とのいわれからとった。
自在とは読んで字のごとし。
在るがまま、生きるがまま、自由に、屈託なく、己のままに在る。
描いたものの総称ともいえる。
私はこの数ヶ月制作する体力・気力を維持するために、
東京にいても、日本のどこにいても、海外でも、よく散歩
(というより速歩)をした。
公園や屋敷町、並木通りなどを歩き回った。
そのとき「フウガ・サンサン・サンサン・ジザイ」と呼吸にあわせて
呪文のように唱え歩くと、何か体の中が浄化され、
生き返るような生命力を感じた。


 きっと仏陀も2500年前北インドやクシナガラ地方でマントラを唱えながら、歩まれていたのだろうな、こんなふうに。
 おそれおおいことかもしれないが、呪文とかマントラはこんな風に体にいいものなんだと思った。
 ついでにいえば、歩く際の私のもうひとつの呪文は「親指・丹田・傘閉めて」(オヤユビ・タンデン・カサシメテ)。
 これはヨガをやっている親しい友人から教えてもらった歩き方の基本。
 歩くとき背筋を伸ばし、胸を張って、腰を中心に前に出し、親指で地面を蹴って、臍下丹田に力をこめ、肛門(傘)の穴を閉めて
 歩くことが正しい歩き方だと教わった。
 きっと仏陀もそんな歩き方をしたのだろう。
 だってあの頃の80歳(で入滅)というのは途方もない長寿だったのだから。
 筆置き(サイン)の場所は、下間(入ってすぐの)襖絵第1面右下と定める。
 題名の2行の不と太文字の横に平成弐拾年  花残月(4月というのを女性らしく?いうとこうなります)奉
 田村能里子(落款)という手順とした。
 
 〈2008年2月11日〉
 
三月ももう過ぎようとしている。
東京のスタジオの回りも桜花が満開だ。
先週にスタジオ帰りによるの目黒川の川沿いの桜を池尻のほうから
中目黒に向かって楽しんだ。
ここの桜はライトアップがなく提灯の明かりだけが、川面に長く腕を
差し出したかのような枝花をくっきりと浮かびあがらせている。
バックの青く暗い水の流れが、花々のひとつひとつの輪郭を
くりぬいたように立体的な効果で眼を打つ。
花の季節に最後の筆置き(サイン)のときがやってきた。
自分も襖絵という桜花を精一杯咲かせたつもり。
心置きなく筆置きをしよう。
下間の「あけぼの」の右側(入り口)の一枚を、
横に倒して題名と署名を入れる。
縦書きのサインは縦のままではどうしても筆が運びにくいので
絵は横に倒した。筆は絵使ったものと同じ洋筆。
毛筆とはあたりや腰が違うので、書のような字は書くにくい。
(もっとも書など私は下手の下手だということを自分でわかっているので、
気は楽なのだが)
 

 「風河燦燦」の最初の「風」という出だしの字が私にはとくに難しいように感じた。
 のびやかに、おおらかに、しっかりと「三三自在」と二行に。
 字も絵の一部であることを考えて、あえて墨書ではなく風紋の色となじむむような、茶褐色を選んだ。
 「風河燦燦三三自在」。
 平成弐拾年戊子花残月 。
 奉田村能里子 能(落款)。





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