このページのトップへ
(C)Noriko Tamura All Rights Reserved.

田村能里子オフィシャルホームページ:過去の掲載記事婦人公論
過去の掲載記事
EPTA Vol.38 
2008年9月1日掲載





【 天龍寺塔頭宝厳院の襖絵完成 女性として洋画家として初めての挑戦 】

洋画家で壁画家としても活躍する田村能里子さんが、再建された京都・天龍寺塔頭宝厳院の五十八面の襖絵を描き、このほど完成させました。
これを記念し、完成した襖絵と田村さんの画業の軌跡をたどる素描・油彩を公開する展覧会が
東京・名古屋・京都で開催されます。
開催に先立ち、洋画家としてはじめて襖絵を手がけた田村さんをアトリエに訪ね、お話を伺いました。

〈西安の壁画第一作が襖絵のきっかけに〉

一九八六年に文化庁芸術家在外研修員として中国に滞在し、西域を一人で探訪したのですが、
これがきっかけとなって西安のホテル「唐華賓館」に壁画第一作『二都花宴図』を描かせていただきました。
西安はシルクロードを旅するお坊さんたちが立ち寄られるところで、
今回、私に襖絵を依頼してくださった宝厳院のご住職も、西安のこのホテルを定宿にしていらしたそうです。


テルで『二都花宴図』をご覧になり、大変気に入ってくださって、今回、私に声をかけてくださったのです。
実はこの襖絵は私の壁画制作ちょうど五十作目にあたります。
輪廻転生ではないですが、一作目が五十作目の依頼のきっかけになったのです。
これは本当に不思議なご縁ですね。
天龍寺は臨済宗のお寺で、かつては女人禁制だった戒律の厳しいところです。
その襖絵を女性であり、また日本画家でなく洋画家である私に依頼されるとは、ご住職も大変思い切った決断だったと思います。
ご住職は絵に関して「こういうものを描いてほしい」と言う条件的なことは提示されずに「お任せします」とだけおっしゃいました。
これは、私にとってはとてもありがたいお話でした。
私は偶然にも、インド、中国、タイといった仏教と関わりの深い地に暮らした経験があり、そこで美しいものや人の美しい
かたちを追い求め、描いてきました。
その集大成として、千年後も残るであろう襖絵に、時代と国を超えた作品を描こうと考え、お引き受けしたのです。

〈見てくれる人々がそれぞれの物語を感じられるように〉

日本画なら床に広げて描くのでしょうが、私は直立したキャンバスや壁面、天井画しかやったことがありません。
そこで、渋谷のアパートを借りてアトリエに仕立て、襖絵と同じ寸法の板に画布を張り、壁画のようにして
アクリル絵の具で描くことにしました。
自分のテクニックの中では初めて、絵のバックに一瞬の風が台地に足跡を残す「風紋」を描き、
時間の流れを表現してみました。そして、そこに三十三体のポーズを配置しました。

この三十三対がいったい何をしているのか、具体的なことや仏教の説話的な要素はすべて排除して描いています。
襖絵を見てくださった方たちが「この人は何をしているのだろう?」とか、絵と対話し、
それぞれのストーリーを感じてくださればいいと思うからです。
しかし、三十三体という数は、観世音菩薩が三十三対に変化して人々を救済するという
仏教の教えに基づいています。完成した襖絵は『風河燦燦三三自在』と名付けました。
風河は大自然、燦燦は降り注ぐ日の光と同時に希望や夢を、そして、三三は描いた人のかたちと観世音菩薩の変化、
自在は己のままに在るという描いたものの総称でもあります。
ほぼ一年半を費やし、全力で取り組んだ今回の作品ですが、奉納後は全貌を見ていただく機会も限られることと思います。
今回の展覧会で、一人でも多くの方にこの作品と対話していただけたら、画家として大変幸せです。