画文集
女ひとりシルクロードを描く

長安の「二都花宴図」大壁画

日本経済新聞社発行
 〈 酒の皮袋を作る 〉

 一口にフレスコ技法といってもその習得は並大抵のことではない。
自分のせっかくの作画が未熟な技法のために台無しになっては元も子もない。
というより何とかしっくいにあった顔料をと考案していた矢先、絵具の大手メーカーH社が開発している
アクリルがしっくいにも使えるとのこと。
さっそく同社の研究所長と打ち合わせる。
同社としても本格的な壁画に使用されるのは初めてとの古都にて協賛の形で大量の絵具を
提供いただくこととなった。
ただ、実際のしっくいへの絵具の乗り、発色、混合、マチエールは本物のしっくいで試して見るほかない。
これも専門家の方に依頼して一〇〇センチ程度のしっくい板を十数枚準備し試し描きをする。
自分の油彩画の色とほぼ変わらない効果がえらるることがこの実験でわかった。
顔料はこれで決まった。


 描く道具類も壁画用の大型ローラー、
細筆は日本製、太筆は
腰の強い中国製を用意する。
中国製はさすがに水墨画の本場だけあって、
顔料をたっぷり含ませることができ、
強い線描きに適している。
こうして絵という酒を入れる皮袋を用意していく
時間は楽しい。
 
 下絵を描いている時考えさせられたことが
きっかけとなって作画の際一つの
工夫をしようと試みた。
それはこの巨大な画面を、線描で全て
保たせることは無理があるということ。
どんな強い線で描いても壁の面積に
負ける部分ができてしまう。
それと線はどうしても作意がこめられるので、
大量の線はうっとうしい。
偶然が形をなしたような作意のあまり感じられない
技法はないものか。

思いついたのは版画である。
版画の面はその削り方でマチエールを
自在に変えることができる。
それと同様の効果が壁画に応用できないか。
結局線描だけでは不都合な馬やらくだのような
大きな形、花のように線描きだけではうっとうしく
なりやすい部分の版を作ることにした。
原画をもとにゴム製の精巧な版ができた。
 これらの作業で帰国後四ヶ月があっという間に
過ぎた。
現場のしっくい作業の完了の合図を待って再び
西安入りしたのは夏も盛りを過ぎた
九月のことである。









〈 西安の晩夏 

 過去二度訪れた西安はいずれも春だった。
のどかな田園風景と霞がかった空とがことの風情を感じさせた。が、今度のこの暑さはどうだ。
九月というのに日差しはニクロム線のように強い。
あらためてこの都が大陸の真ん中に位置していることをしらされる。
汗に細かい砂埃が混じって肌を刺激する。さあ、これからが仕事。
現場には真っ白なしっくいの壁画が既に出来上がっている。
正面ロビーは吹き抜けになっていて、その二階通路の高さ、一階からは四メートル上にある。
仮説の足場を初めてて登る。
上がってみるとかなりの高さで思わず冷汗が出る。
それと足場の板が柔らかく動くとぐらつくのには恐怖を覚えた。
ヨーロッパの教会のフレスコ画の見上げる程の高さに比べればどうということはないのに、
と思いなおして仕事に取りかかる。

 先ずローラーで真白のジェッソを全面に塗る。
ジェッソは壁面に顔料の接着をスムースにするための下塗り顔料である。
そのあたりの作業人夫や通りがかりの人たちが寄ってきて見上げている。
どうもだいたいが怠け者が多いようだ。
壁面を指さしてあれこれ言っている様子。
とことが白いしっくいの上にいつまでたっても白を塗っているので、そのうち皆妙な顔をして散っていった。
きっと日本からしっくいの仕上げ職人が来たのと勘違いしたのだろう。
この下塗りだけで朝から晩まで昼食を抜いてかかりきりでも、四日間かかってしまった。
いまさらながら壁画の巨大さに圧倒される。
日本から持参してきた大きめのローラーもさすがにガタが来る。
おまけに水を含んだ重さが答えて腱鞘炎になってしまった。
スタートから多事多難である。

 腕もひと休みさせねければならない事情もあったが、もう一つのハプニングもあって
仕事は中断せざるを得なくなった。
肝腎のアクリル顔料が北京の税関に止まったままで到着していなかったからである。
アクリルは水溶性なので本来痛感は問題ないのだが、日本からのインボイスに一部
揮発性がありと記載あったためという。
揮発性のものは輸入許可が必要とのこと。
実際には揮発性の顔料でなかっらので、西安から手をつくして漸く入手したのが三日後となった。
もともと予定通りいくとは思っていなかったが、とにかく時間がかかりそうな気配である。

 下塗りに取りかかる。黒、青、緑、赤を次々と置いていく。
私にとっての下塗りは絵のマチュールの決め手となる大切な課程である。
自分の納得できる色調になるまで何度も色を重ねていく。
この作業にも周りで大勢の人が見ている。
私が色調を何度も変えるので、よく気の変わる絵描きだ、明日は何色になるのだろう、と話していたらしい。


 西安の夏の夜は爽やかである。
町にはアセチレンガスをこうこうと点した屋台が並ぶ。
シシカバブ、ワンタンスープ、揚げパン、粥。
ひまわりの種、豚骨、焼豚などをつまみに生暖かい西安ビールを流し込む。
店の主人は中国系からウイグルと思われるモスレム帽を被ったのと色々。皆愛想がよい。
ワンタンスープが美味しいので味の秘密を聞くと、「唐代(タンダイ)から煮込んでいるんだもの」。
 下塗りするうと瞬く間に三週間が過ぎた。先は長い。
体調を整えるため、画想を今一度練り直すため、一旦帰国の途につく。

〈 その秋そして冬 〉

 十月、十二月と西安行を繰り返す。
西安の季節の移り変わりは激しい。
十月にはあの灼熱が嘘のような冷機が漂う。
朝後援で太極拳をする広の着ているものも厚手になっている。
冬の前兆は肌寒い朝で始まる。
町の市場や家並みの軒先は雨どいがないので、バチャバチャと雨だれの音が町中で響く。
市場の前は泥んこ道。
それでも普段はほこりっぽい町がなんとなくしっとりした風情になる。
きっと太古の昔から人々はこの雨の季節を心待ちにしていたのだろう。

 仕事が概ね順調。ただ足場の下をブルドーザーがバリバリとすさまじい音で動き回り
足場を引き倒さんばかりの勢いには、度肝を抜かれる。
ここの人は、というより飯場はあまり他人のことをかまっていられない所らしい。
アトリエで描いているのとはわけが違うと自分に言い聞かせても、命あってのものだね、用心に身が引き締まる。

 現場監督が広東人の男子の助手をつけてくれる。二十八歳、独身。
普段はこの現場で大工仕事と室内装飾が専門だそうだ。
顔料の運搬、筆洗い、照明など結構雑務がある。
ことばは通じないが飲み込みの早い人で、嫌な顔もせずてきぱきとやってくれる。
気心も分ってきたので、これからこの仕事に必ずお願いしたいと思っていたが、
仕事の配置はもともとは国の服務局が決めること。
何とか頼み込んで十二月もついてくれた。

西安の冬は厳しい。
温度は零下十度程度零下十度程度だが底冷えする寒さだ。
それと寒風が町中を吹き抜ける。
仕事の現場も建具がとりついていないので、吹きさらしの寒さ。
体は防寒服で固めているが、顔と手の冷たさはどうしようもない。
宿舎のホテルに仕事を終えて鏡を見ると、顔面がしもやけになったように腫れていてその寒さに改めて驚く。
 暮れ近く、仕事場で助手の王君が、これを見て!絵筆を持ってきた。
なんと真白に霜がついている、スエ(水)で筆を洗っていたらこうなった、と目で話をする。
そうね、こんな寒さでは仕事は無理ね、と私も目で話引き上げることにした。
 森閑とした夜の仕事場。
昼間の工事の騒がしさが嘘のよう。
真暗な闇の中に私の白い馬が飛び、らくだが憩い、わらべたちが踊っている。
彼らはこの闇の中で年を越す頃になる。








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