対論 Reciprocal
夢を実現するために、納得がいくまで努力を続ける − 壁画50作の軌跡

【 洋画家・壁画家 田村能里子 氏 】
京都 嵯峨嵐山の臨済宗大本山天龍寺。
足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために開墓した古刹です。
紅葉の美しいお寺として名高く、塔頭のひとつ宝厳院も見事な庭で知られています。
2008年に宝厳院本堂が再建され、58枚のふすまに田村能里子さんの作品「風河燦燦燦燦自在」が描かれました。
アジアの大地に生きる人々をモチーフとする田村さんの壁画は、日立マクセル本社をはじめ50作に及びます。
今回は、落成した宝厳院本堂で、田村さんの芸術の心と、
そのエネルギッシュな創作活動についてお聞きしました。

■ 人生のたびは出会い ■

塚田 本日は、お忙しいところありがとうございます。
    田村さんに初めてお会いしたのは、日立マクセル本社の壁画を描かれた2003年です。
    ロンドンから関西支社長に赴任したときに京都でお会いしました。
    その後、ご主人とも仕事の関係でお付き合いさせていただいております。

田村 日立さんには、いろいろチャンスをいただき、夫ともどもお礼申し上げます。

塚田 今回は、宝厳院のご住職無理をお願いし、一般公開期間外にもかかわらず作品の前でお話を
    伺えることになりました。
    すでに展覧会や春の一般公開で拝見させていただきましたが、やはり本堂に納まった姿が
    すばらしいですね。
    せっかくの機会ですから、このあとじっくり鑑賞させていただきたいと思います。
    まず、お寺のふすま絵を描くことになったいきさつからご紹介ください。

田村 今から20年以上前の1988年に、西安にある唐華賓館という日中合弁ホテルに
    壁画第1作を寄贈させていただきました。
    その壁画をこちらの住職の田原さんがご覧になり、3〜4年前に西安のツアーで始めてご一緒になった
    ときに、「あの壁画の作者の方ですね」とお声をかけていただきました。
    その後、「本堂を再建するので、ぜひ、田村さんにふすま絵を描いていただきたい」
    と言うお話をいただきました。
    ふすま絵といえば、普通は日本画や水墨画ですし、私も描いた経験がありません。
    でも「これから築くものには新しい感覚を取り入れたいので、勇気をもってお願いします」
    とおっしゃっていただいたのです。
    人生にはいろいろな出会いがありますけれども、これも大きな出会いでした。
    私は、オリエンタルなテーマを中心に壁画を描いてきましたが、日本のお寺の仕事は初めてです。
    きっと、私を選ぶまでには、いろいろな問題にぶっかったと思います。
    そのお気持ちにお答えしたいと考え、私にとって50作目の壁画として寄進させていただくことにしました。

塚田 第1作の唐華賓館の壁画を手がけるきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

田村 絵描きとして、一度は壁画を描きたいと思っていてもチャンスが巡ってくるとは限りません。
    私の場合は、たまたま日中文化交流で中国に留学し、いろいろな出会いがあって西安のお話に
    つながりました。
    日本からの留学生が壁画を描くということで新聞にも大きく紹介されましたが、いきなり幅60mの
    大壁画です。
    ホテルの建設現場で1年半かけて描くのですから体力と気力が要ります。
    強い気持ちがないと続きません。
    そこで「自分は遣唐使になったつもりで恩返しをするんだ」と言い聞かせながら仏様の前で修行する
    気持ちで仕事をしました。
    40代始めのことですが、おかげさまでよい作品が残せたと思います。


■ 伝統にしばられずに私を表現 ■

塚田 中国留学のお話は後ほど伺うとして、宝厳院のふすま絵の制作はどのように進めたのですか。

田村 最初にやってはいけないことについてお聞きしました。
    ふすま絵は水墨画が多く、色の使い方に疑問がありました。
    しかし、「禅寺ですから何色を使っていただいてけっこうです、『ねばならない』ということは
    一切ありません」というお答えでした。
    もうひとつはテーマ。
    人物画を主に描いていたので、花鳥風月といわれると困るし、他人の仕事をなぞることも好きでは
    ありません。
    「これまでの伝統にこだわらず人間的なものを描いてもらいたい」とおっしゃっていただいたので、
    それなら私が素直に表現できると思いました。
    裏表で58枚、ほとんどの場合、壁画の工期は2、3ヶ月ですが、1年半いただけると言うことでした。
    ふすま絵は現場で描かなくてもいいので、じっくり取り組むために東京の渋谷にアトリエを借りました。

塚田 タイトルの「風河燦燦三三自在」とはどのような意味でしょうか。

田村 「風河」とは大自然を意味します。
    京都の嵐山にある天龍寺、その天龍寺の中にある塔頭の宝厳院。
    この自然の美しさを伝えるために選びました。
    「燦燦」は降りそそぐ日差しです。
    この絵には、風がそよぎ、光もあふれています。
    風や光そのものは見えないけれども、宇宙、大自然、太陽が燦々と輝くさまは見えると思っています。
    「燦燦」の次の「三三」は言葉のリズムもありますが、ここに33体の仏様がおられるために選びました。
    観音様が33の姿にかえて世の中を救済されるということで、普段どおりの生活をしている33の人物を
    描いています。
    「自在」は「自が在る」。
    本当の自分が在るということです。
    自由自在とは勝手にという意味ではなく、伸びやかに自然体で自分らしく生きられたら一番いいわね
    ということです。
    この絵の前で、自分とは何だろう、自分らしく生きているだろうかと問いかけたりしていただけたら
    うれしいですね。

塚田 33人の姿をした仏様に囲まれて、自分本来の生き方を見つめなおすということですね。

田村 タイトルもそうですが、本当は、なるべく説明的なものは避けたいと思っています。
    十人十色の心で見ていただければ良いと思います。


       

■ 個性を象徴する「タムラレッド」 ■

塚田 宝厳院はもみじで有名なところで、秋の紅葉は本当にすばらしいですが、新緑の緑も大変すばらしい。
    それと対比するように、田村さんの絵は「タムラレッド」が基調になっていますね。

田村 私はいろいろな赤を使うのですが、みなさんが「あの赤はタムラレッド」だとおっしゃるんです。
    赤は、血の色ですよね。
    私にとっては赤は生きている命を表現する色です。
    激しい赤も、やわらかい赤もあるし、まったりとした赤もあります。
    昔から赤が大好きで、パレットを見ると赤の量が多いですね。
    今回もどうしても赤を使いたかったんです。
    意識したのは嵐山の大自然の緑です。
    飛行機から見たら、緑の底に真っ赤な生命が燃えている。
    屋根があるから見えるわけはないのですけれども、イメージとし、ああ、これは絶対赤だわ、
    ここにはこの赤しか置けないと思って。
    制作中に、ご住職がアトリエにいらしたときは、ずいぶん驚かれたようです。
    「どうぞご安心ください」
    といったものの、もしかしたら頼んだことを後悔なさったかもしれないと思いました(笑)。
    こうして無事に本堂にお納めして、大勢の方にご披露させていただきましたが、
    なぜ真っ赤な絵にしたのかという苦情は今のところないそうです(笑)。

塚田 ふすまの引き手も田村さんがデザインされたのですか。

田村 そうです。
    引き手も既成のものではいやだと思って自分でデザインしました。
    昔から人間に寄り添ってきた動物を描くのではなくて、ポイントとして引き手に使うことにしたのです。

■ 原点はインドの旅と出会い ■

塚田 これで50作目ということですが、私もヨーロッパでミケランジェロなどの壁画を鑑賞しましたが、
    足場を組んで天井や壁に描くのは肉体的に大変な作業じゃないでしょうか。
    女性で壁画に取り組むというのは本当に大変だと思いますが、
    「絵描きとして一度は壁画を描きたい」と思われた原点はどのようなことだったのでしょうか。

田村 私の場合はインドですね。
    若いときに夫の仕事でインドに4年間住みました。
    世界遺産のエローラやアジャンタの石窟寺院の壁画を見て、人の心を動かせる壁画に関心を持ちました。
    もうひとつ、砂漠地帯にある壁画も見たかったのですが、日本に帰ることになり、宿題をやり残してきた
    気分になりました。
    そこで、1人でちょっと砂漠に行ってきますと出かけてしまったのです(笑)。
    インド西北のタール砂漠にジュンジュヌと言う町があります。
    観光客はほとんど来ないのでホテルもありません。
    そこに向かう汽車で出会いがありました。
    たまたまジュンジュヌにある学校の校長先生と乗り合わせ
    「どうしてジュンジュヌへ行くのか」とおっしゃるので、インド人のカメラマンが撮った
    「壁画で埋め尽くされた町」という写真集を見せたのです。
    そこにある壁画を自分の眼で確かめに行くところですというと、
    「ホテルはないし、ヒンズー語以外は通じないから大変だよ。ちょうどいいから私のところに来なさい」
    とおっしゃるんです。
    ひょっとしたら悪い人かもしれない。
    でも、怖ければ逃げてしまえばいいやと度胸を決めました。
    むしろ「駅には迎えの車が来ているから」いわれ、荷物も多いし内心ラッキーと思ったほどです(笑)
    
    ところが、迎えの車というのはなんとロバさん(笑)。
    リヤカーよりも少しましな荷車がくっついていて、「お父さんが帰ってきた」
    と奥さんや子供らが出迎えるシュチュエーションです。
    その荷台に載せてもらって、足をぶらぶらさせながらお宅へ行きました。
    居心地がよくて、何日もいました。
    驚いたことに朝になると、その家が小学校に変身するんです。
    町中の子供がロバの荷車に乗ってやってきて、まるでスクールバスですよね。
    そして、庭のテントで授業が行われます。
    私の寝ていたベッドも壁に立てかけると、裏がなんと黒板になっていた。
    ああ、人はこうやって工夫するのかと感心していると、校長先生が教え子の男性に、
    「この人を壁画のあるところに案内してあげて」とお願いすると、
    その男性が「わざわざ日本から来たのだからちょっとみせてあげて」
    と街中の人に声をかけてくれたんです。
    そのおかげで、表の塀から裏のドアまで何もかも見ることができました。
    展覧会場で見るのと違って壁画がすごく身近に感じられ、街の人々に温かい気持ちで迎えられたことが、
    自分で壁画を描いてみたいというきっかけになりました。

■ “だめもと”でチャレンジ ■

塚田 その後、文化庁から芸術家在外研修員ということで中国に留学されたわけですね。

田村 日中文化交流として、写真、バレエ、日本画、洋画など20項目ほどありましたが、
    文化庁がお金を出すといっても、中国側の引受人がなかなかいないので行けませんでした。
    私はインドの次は中国へ行きたいと思って
    “だめもと”で試験を受けました。
    ところが、引受人の推薦状がないと受験できないといわれましたので、中国でもっとも著名な漫画家の
    華君武(カクンブ)先生に手紙を書いてみました。
    試験日の4日前にようやく電報でお返事をいただけたのですが、なんと、数字が並んでいるだけで
    まったく読めない。
    日本の電報局に電話すると、「中国からの電報でしょう、読み上げてください」
    というので、03とか85とか読んでみたら、
    「あなたの留学希望への回答です。この電報を持って試験を受けて合格したら、北京中央美術学院が
    あなたの部屋を用意してお待ちしています」
    と書かれてあるとのことでした。
    華君武先生にはつたない手紙だったのによくご支援いただきました。
    もちろんお礼に行きましたが、人に気持ちが伝わったことがうれしかったですね。

塚田 田村さんのそうして積極的な問題解決能力は、ぜひ分けていただきたい(笑)。
    その留学中にカシュガルを訪ねたのですね。
    中国の一番西の端で今でもなかなか日本人が行けないところですが。

田村 留学といっても、私は教室で勉強する気は全然なかったので、中央美術学院の許可をもらって、
    ずっと旅をしていました。
    外国人は制約が多いし汽車の料金も高いのですが、乗っていれば人がどんどん入れ替わるので
    単語だけ並べてデッサンさせてもらいました。
    上海、北京、西安、敦煌と巡り、その先はどうしようかと考えて地図を見たら、
    カーシュという街がありました。
    日本語でカシュガル。
    この美しい名前の土地へ行ってみたいと思い、ウルムチ、トルファンを訪ねながら向かったのですが、
    カシュガルへは鉄道がないので危険といわれて、やむなく飛行機で行きました。
    ところが、「今日は黄砂で飛びません」
    「すみません、今日もだめです」という感じで、2日も足止めされました。
    でもそこに人がいればデッサンはできます。
    日本に夫がいることも忘れて描いていたんです(笑)。
    ようやくたどりついたカシュガルは、老人が多く、みなさんきれいな風貌をされているのです。
    すっかり魅せられた私はひたすらデッサンを続け、気づいたら2ヶ月もたっていました。



■ 「七走一坐」「一日一止」 ■

塚田 いろんな経験をされて、一番印象に残っていることはどのようなことでしょうか。

田村 いろいろな出会いがありましたから、これが一番というのは難しいですね。
    それでも、インドのジュンジュヌの校長先生は、数年前にNHKの「わが心の旅」で再訪しましたが、
    本当に心の中に残っています。
    北京留学の際の華君武先生の尽力もうれしかったです。
    人生の旅は出会いですね。
    幸せなことばかりはないけれども、絵のことではいい出会いがいっぱいありました。
    壁画にしてもいつのまにか50作に達し、本当にたくさんのチャンスをいただいたと思っています。
    夢を持つことが大事ですけれども、努力して時間をかければ、夢まで到達しなくても
    近いところまでは行けるんじゃないかと思って、いつもちょっと努力しています。
    「もうあきらめたら」といわれても、もう少し納得のいくものにしたらみなさんが喜んでくださると思って
    取り組んでいます。

塚田 胸にしみるお言葉ですね。
    今回、宝厳院をお伺いするので、ご住職のホームページを拝見しました。
    そこにもいろいろと含蓄のあるお言葉がありました。
    「七走一坐」。
    走るという字は中国語では歩く意味だそうです。
    人生ずっと歩いて一生懸命仕事をしていても、ふっと座って過去を振り返って将来を考える、
    そういう休みが必要だというわけです。
    別の言葉で「一日一止」。
    1日働いたら寝る前に5分でも10分でもいいから振り返る。
    ご住職の受け売りですが「一止」の文字を合体すると「正」という字になります。
    私も、部下たちに一生懸命仕事をするのはいいけれども、良きビジネスマンであるためには
    良き人間であれ。
    良き人間は情や感性を大切にしないといけないといっています。
    芸術は感性に働きかける要素がすごく大きいと思います。
    田村さんがおっしゃるとおり、自然や人をじっと見つめ、芸術作品を鑑賞することで感性を磨いてほしい
    と願っています。

田村 私もそう思います。
    私自身、最初は余裕がなかったのですが、考えてみると、力こぶを入れるだけではなくて、
    がんばるときはがんばるけれども、1日5分でも、本当に一瞬でも、何かほかのことを考えるのもよし、
    見るのもよし、気持ちを休めることの大切さに気づきました。
    ただ、良いものと悪いものを見分けるには、良いものだけを見ていてもいけないですね。
    親が子供に好いものだからと押し付けてみても、良いものだけの中にいると本当の良さが分からない。
    それも押しつけでは無理だと思います。
    自分が普段から心がけていないとできないことですね。
    10年たって振り返ったら、あの時足を止めたことが良かったと思うことがあるかも知れない。
    時にはこちらのような美しいお庭を眺めてゆったりした時間に浸ってみるのもいいと思います。
    文化にかかわっている者としては、もう少し文化を身近に感じていただきたいですね。
    絵画、文学、映画、演劇など、自分の好きなことなら何でもいいですから、自分の好きな分野に
    心が休まる場がもてたら、お仕事にも絶対に役に立つと思います。
    私は赤にこだわっていますが、青い世界も気にしています。
    下地に青や黒を置いて最後に赤を載せて仕上げるのですけれども、青の世界を含めれば、両面を気にして
    作品を考えると幅も広がりますし、奥行きが深くなると思います。

■ 新しい素材も積極的に取り込む ■

塚田 今のお言葉をふまえて、あらためて作品を鑑賞させていただきます。
    田村さんは、インド、中国、タイを旅して、アジアの人物像を描いてこられましたが、よく画家の方たちは
    絵の中に自画像を書き込んでいると聞きます。
    このふすま絵にも田村さんの自画像があるのでしょうか。

田村 入っていると思います。
    どれでしょう。人物じゃなく、虫になっている自分がいるかもしれないですね(笑)。

塚田 これはアクリル絵の具ですね。
    油絵の具に比べて耐久性はいかがでしょうか。

田村 コーティングしてありますから、ずっともちますよ。
    電球や太陽の光に強いのもアクリル絵の具の特色です。
    壁画でも、アクリルキャンバスを使っています。
    日本は地震国ですから、アクリルなら揺れてもひびが入らないですね。

塚田 芸術の世界にも革新的な技術があるのですね。
    日立マクセルの「The Symphonic Garden」という壁画は、先日、双眼鏡を持っていってディテールを
    拝見しました。
    そうすると、ただの白い着物と思っていたものに、繊細な花柄が描かれていて驚きました。
    
田村 最近では、高性能カメラでアップ撮影されることも多いので、アップで撮られても大丈夫なように
    考えていますし、そのための仕掛けも作っています。
    日立マクセルさんの仕事も楽しかったですね。
    日立さんは、私が審査員をしている日本経済新聞社の「ニューオフィス賞」で、赤坂のオフィスが
    受賞するなど文化面でも活躍されていますね。

塚田 赤坂サカスにできたデザイン本部のオフィスですね。

田村 私も実際に拝見しましたが、本当にすばらしいもので日立の幅の広さを感じました。

塚田 ありがとうございます。
    日立は硬い会社というイメージが強いので、デザイン面でほめていただくと、とりわけうれしいですね。
    田村さんの多彩で強烈な経験から私たちが見習うものも多くあると感じました。
    最後に、何か日立グループの仲間へのアドバイスをいただけますか。

田村 アドバイスなんて恐れ多いですが、きちんと考えて後ほどお送りしますね(笑)

塚田 よろしくお願いいたします。
    本日はどうもありがとうございました。


−対談後、田村さんからメッセージが届きました。

 私の仕事は、絵描きといってもアトリエで制作するだけではなく、壁画や障壁画といった環境アートに
 近いものにも長い間取り組んでまいりました。
 その経験も踏まえて、おこがましいのですが、御社のみなさまに、私からのヒント・アドバイスをちょっと。

「美神は現場におわします」

 壁画などは、それが設置される場所で制作することが多いのですが、その現場に立って仕事をしていると、
環境のイメージが肌で感じられるので、絵もそれにふさわしいモチーフや仕上がりになっていきます。
すべて現場が鍵を握っている(刑事ものドラマではありませんが)と実感しています。

「悪魔のように繊細に、天使のように大胆に。とにかく実践する」

 壁画のように、期限を切られているものに失敗は許されません。
責任感は時に重圧となって実が硬くなります。
しかし、それでははじまらない。
とにかく果断に踏み出し実践を重ねていくことでしか、ゴールにたどりつけない。
試行錯誤はあって当たり前という、度胸、潔さ、謙虚さで何とか乗り切れるものだと今は感じているのですが −。





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     過去の掲載記事
日立総研 会報誌 2009年11月発行