画文集
風の奏
 ~かぜのしらべ~
高崎信用金庫本店

壁画「風の奏」制作ノート

まえがき

一九九五年は私にとって本格的に絵描きの道を歩き始めるようになってから二十五年目に
あたります。
また中国への留学がきっかけとなって絵画制作と平行して手がけるようになった壁画制作も
今年で足掛け十年目にはいります。
年暦の上でも西暦二千年まであと五年と節目の年に当たり、個人的にも歴史的にも
今年は何か転換点になるような気がしています。

 今年が歴史の節目の年という意味は、阪神大震災というとんでもない災禍で年明けから
示されていました。
災害に遭われた方々には本当にお気の毒なことでしたが、私自身は私の周辺に起こった
ある出来事によって、自分の歩いてきた道程に何か光る道標を見たような体験をしました。
 たまたまこの時期、絵の自分史の二十五年記念に東京・名古屋・大阪と巡回個展を行っており、
あいにくと大震災直後の二月上旬が大阪の予定になっていました。
 お亡くなりになられた方や、生活そのものが奪われている方々がすぐ近くにいらっしゃるのに、
絵画の個展でもなかろうという気持ちもあり、開催に迷いましたが、初めての関西での
企画でもあり、思い切って予定通りオープンしました。
その結果は案に相違して、こんな時節柄にもかかわらず大勢の方々が訪れて下さったので
主催者もほっと胸を撫で下ろしたのでしたが、私にはそれよりもお見えになっら方々から
伺った数々の感想やお話が驚きでした。

「何もかも失って気力が萎えてしまったけれど、あなたの絵を見てなんとなくほっとした。
ぽちぽち生きていこうという気力が湧いてきた」
「人の命を失ったことは、取り返しがつかないが、物が全てなくなってしまうと物に対する
執着があまりなくなった。
それよりも心の潤いが欲しいと感じていたことが個展にきて見てわかった」
「命がある。生かされているということは有り難いこと。
絵の中に命の輝きを見たような気がする。」

手が傷だらけの方や包帯姿が痛々しい方々のお言葉でした。
会場でお声をかけるのをちょっとためらっていると、そうした方々のほうから積極的に
話しかけられてきたのです。
こんな大きな災害に何かお力になりたいと思っても、人並み以上のことはできないし、
ひとりよがりの押し付けはかえってご迷惑と思っておりました。
けれどもこの個展で絵画の、というより広い意味での「美」のもつ力を教えられた思いがしました。
その力は私の小さな計算を超えて、空間に満ちているエネルギーのように強く、
広く伝わっていったことを実感できたのでした。
自分の力が美という媒体を通じて広がって予想もできない素晴らしい働きをしてくれる。
自分に何ができることがあるとしたら、やはり本業である「美」しかないことを改めて
確信する機会となったのでした。

 このことは自分がまだこれから先当分の間歩いていくであろう絵の道に掲げられた
道標として胸に刻み込まれました。
 この度の壁画「風の奏(かぜのしらべ)」は、この体験を経て取り組んだはじめての壁画であり
自分の仕事の究極の目的とは何かをしっかりと意識しながら、精魂を傾けて仕上げたものです。
高崎の平野を取り巻く豊かな自然の中で、街に調和し、ゆったりと呼吸をしながら、
みなさまと潤いのある会話をし続ける、この地の「いい顔」として長くみなさまに愛される
存在であって欲しい、これが生みの親の唯一の願いでございます。
 新生児「風の奏」をどうぞよろしく。

壁画「風の奏」ができあがるまで
勇気とやる気が出会うとき


 壁画の仕事を手がけるようになって足掛け十年の間に、十ヶ所以上の制作現場を体験しました。
大別すればホテル、レストラン、学校が数の上からは多いことになりますが、客船や競馬場と
いった変り種も含めて多彩な場所での制作をすることができ、またそれがきっかけとなって、
地域や人々とのご縁が広がっていくという制作者としての醍醐味も味合わせていただくことが
できました。
 このたびのお話は、本館に隣接するギャラリーの正面ロビーということで、
今までの現場のように壁画が空間を占めるアートの主役としての環境と調和することだけを
考えればよいのとは異なり、ギャラリーの展示作品とともに生きていくこと、
できればお互いのアートが響きあってスケールのより大きな美的空間を作り上げる
必要があるという、私にとっては初めて体験する仕事となりました。

 壁画そのものがその場から動かし得ない構造物であることから、空間全体の善し悪しを
左右しかねないリスクがあり、そのリスクを乗り越えて特定の作者に賭ける施主の勇気と
決断があってはじめて仕事が実現するわけで、作者としてはそうした機会が与えられた
喜びと同時に、その付託に応じえられるか、正直かなりのプレッシャーを感じざるを得ません。
とはいえ現在私達が目にすることのできる、壁画などのいわゆる文化的な遺産はその殆どが
発注者の決断とプレッシャーを克服した作者たちの積み重ねに他なりませんから、
作者としては出会いを前向きにとらえて、プレッシャーをよい結果に結びつけるエネルギーに
変える他はありません。
これらはスポーツや他の仕事でも同じだと思います。


モチーフを模索する旅

 このギャラリーの主な収蔵作品は郷土の産んだ画家山口薫さんの作品とうかがいました。
山口さんの絵は私自身が学生時代から本や画廊でよく目にして育ってきた世代です。
現在の私自身の絵の絵肌(マチュール)に共通した親近感を抱いていましたので、
壁画との共鳴感は出せるのではないかと思いました。
またこのギャラリーの目的のひとつとして市民ギャラリーとしても活用される予定
とのことであり、郷土性ということも壁画の中に生かせるようなモチーフの模索を始めること
になりました。
九四年の晩秋、ちょうどこの仕事に取りかかる直前に高崎から車で三十分のところにある
谷川温泉にいってみました。
下界より寒さがかなり深まっていましたが、文字通りの金糸銀糸の世界の鮮やかさに
圧倒されました。
群馬の奥座敷の自然な豊かさを目の中に叩き込んで下界に戻り、ダルマ造りを
お見学させてもらいました。
「願かけダルマ?」の由来をうっかり聞きそびれてしまいましたが、丸い体の赤と黒い髭の
色のコントラストは改めてよく見ると本当に強烈でした。
とくにこの「赤」は神社の朱色とも異なり他ではめったに見れない色です。
大師の故郷に近いラマ教の僧侶の法衣の色とも思えますし、非日常的な血潮の塊のようにも
見えます。
いずれにしても願いごとを成就させようという激しいエネルギーを表しているように感じました。
「赤」という色は私自身いちばん好きな色であり、一番多く使っている色です。
赤はやはり乾いた風、砂っぽい風、微風、空気の揺らぎの程の風、どんな風も空間を
支配する力を持っています。
私はそんな風の支配する風土がすきなのです。
シルクロードもそうでしたが、「風の王国」で生きている人々の姿やかたちに美しさを
感じてきました。

 風が吹いている風土は厳しい自然という見方もありますが「風に立ち向かって生きていく」
ことを実感させてくれる風土ともいえます。
事実インドの風土の中で風とともに生き抜いている女性の姿には、しなやかさとしたたかな
生命力が感じられ、風と女性とが風土の特徴を現している群馬の女性像とは、
なにか共通性があるように思います。
 壁画のモチーフも風の吹き抜ける自然の中で思い思いにくつろいでいる女神たちの群像と
定めました。
ただ、コスチュームは国や地方を特定せず、オリエンタルな「風の王国」に住む
女性のモードを自分なりに作ってみました。



故郷の時の流れに溶け込んで

郷土性とは、その土地の人と歴史文化の特徴とも言えるでしょう。
群馬といえば、戦後初めての地方交響楽団誕生でも知られているように、音楽をこよなく愛し、
詩作に熱中するといった人々が多いようです。
絵は勿論沈黙の世界ですが、音楽が聞こえてくるような絵といういいかたがあるように、
交響曲風のようなものから室内楽、あるいはポップス風まで音楽のイメージを
かきたてる絵は確かにあります。
 
 この壁画のもうひとつの主題を音楽にしました



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