◆◇◆ 千年を隔てたひとりごと ◆◇◆

 このところときのすぎるのが早い。
年配の方が秋の日はつるべ落としのごとく、などとよく口にするのを聞いたことがあるが、
こういう漢字なのかと自分も年配といわれる年になってきたことを実感している。
もっとも最近はけっこう若い人でも、「あっという間ですよね」などと簡単に使うので、
自分の年かさというより、世の中全体のスピードが速まっている制なのかもしれない。
絵描きについていえば、ひとりでアトリエに閉じこもり、人様から見れば同でもいいような画架上の
画面とにらめっこしているしている毎日に、遅いも早いもないではないか、と思われるかもしれない。

 まして私の場合、絵描きと壁画の制作と一足半のようなわらじを履くようになって二十年、
世間の風に当たっているより壁に向かっている時間の方が長いのではないか、という特別なケースだ。
一年に二〜三作のペースで大きな壁画を描いてきた。
計算したことはないが、一作平均二ヶ月くらい現場に張り付いて作業をしたとすると、今までに四十九作、
およそ八年壁に向かっていたことになる。
これだけでも、世間知らずの資格は十分なうえ、アトリエの絵描きもやっている(他の絵描きさんゴメンナサイ)
のに季節感や時間の歩みなどあるものか、といわれてもごもっともさまというほかないのだが。

 ところが昨年は、初めから様子がちょっと違った。
例年のように二〜三作の壁画の仕事の予定はない。
アトリエも少し模様替えをし、セメントの打ちっぱなしの仕事場風の壁からナポリ風の黄色にすっかり変えて、
むしろくつろげる場風にインテリアも変えた。
アトリエでの仕事も出来るだけ少しにしようと。
実は仕事の主戦場が別に出来てしまったのだ。
京都嵐山の天龍寺の塔頭(宝厳院)に建立される本堂に五十七枚(完成時には五十八枚に変更)の襖絵を描く
ことを引き受けてしまった。
私の壁画第一作は今から二十年前中国西安のホテルに描いた。
西安は昔の長安で天竺からの仏教の伝来地であると同時に禅宗発祥の地域でもある。
誌面の都合で詳細は割愛させていただくとして、とにかくこの壁画第一作が仏縁につながって京都の禅寺の
襖絵を描くことになった。
襖絵もこれだけの大きさ(多さ)となると「折りたたみのできる壁画」といえないこともない。
私にとって五十作目となる壁画だ。

 禅寺の本堂は来年の春ごろ落慶の予定なので、京都の現場で描くことはできない。
東京のアトリエの近くに俄仕立てのスタジオをしつらえた。
ただ実際の本堂並みの空間は到底確保できないので、百二十平方メートルくらいの空間に窓もすっかりつぶして
襖絵用のカンバスを張り巡らせた。
それからの私の主戦場は四方が襖でびっしりと囲まれた座禅を組むのに最適な(?)無窓部屋となった。
昨年の晩冬、春、夏、そして秋とこの無窓部屋でほとんどの時間を過ごした。
無窓は夢想に通じるのか、季節感もない(エアコンがないので温度はくっきりと感じるのだが)、昼夜の時間感覚も
ないところで空想三昧、作画三昧をしておりtp、本当に時間の経つのを忘れてしまう。
 まったくまわりくどい話になってしまったが、冒頭の「このところのときの過ぎかた」というのはこの窓なし部屋の
せいだったのだ。

 襖絵といってもこちらは一応洋画の分野。
和紙に水墨とか岩絵の具というわけにはいかない。
カンバスにアクリル絵の具という襖もはじめてなら、書き手も女手(といえる年かしら)ははじめてというはじめてづくし、
いってみれば繰り返しのできない実験工房のようなもの(和尚さまゴメンナサイ)。
それにしても前兆六十メートルは張り巡らされてみると長く大きい。
 おまけに水墨画や黒書なら余白を生かしてモノをいう、絶妙の空間処理が奇跡的にできるかもしれない。
(歴史上有名な名画の襖絵のように)。
だが、





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