絹の道の香り

 印度で暮らし、日本に帰ってからもインドへの小旅行を数年繰返していた私でしたが、
絵の勉強をもっと幅広く続けたくなり、自分の行動のコンパスを西域の方面にも向けてみたくなりました。
もともと天竺から出発した宗教や民族文化は、シルクロードを経由して極東の日本にまで及んだのですから、
西域は印度と日本の地理的な間隔を埋めるだけではなく、歴史の上でも大きな間隔を埋める役割を
果たしていた地域です。
自分の絵に欠けている何かを、与えてくれるのではないかと踏み込んだ土地は、果たして印度を経験している
私には、何の違和感もない、地続きの民族の生活が繰り広げられている場所に映りました。
国境と言う人為の線引きが、民族の暮らしという括りからみると、いかに不自然で無意味かが実感されました。
街の匂いや食べ物もアジア大陸が本当に地続きであることを改めて感じさせるものでした。
シルクロードの西への起点である西安の天幕屋台からにおってくる煮込みスープの味あたりから
西域の気配が混じってきます。
鶏味だしのスープにピリッとスパイスが入ってきます。
白いモスレム帽を被ったオジさんに片言で味の秘訣を聞くと、
「ウチのスープは唐代から煮込んでるから、うまいに決まってるよ」と元気な答え。
まさかと思いながらも、本当かもと思えてしまうのも印度からこの地域いったいの特徴なのでしょう。
西安から西に旅立てば、トルファン、ウルムチとそれこそ印度、パキスタンと変わらぬ風土が展開します。
それは風土に合っているということでは砂漠の風の中で、豪快に食べるのが一番あっているかもしれません。
これらの肉料理には皆共通したスパイスが使われています。
アンシーブションという「うこん色」の香料は、これが西域の香りといってもよいほどにシルクロードの
どの市場にも充満している香りでした。
印度での生活した時間に較べれば、ほんの短い旅の連続でしたから、人々の生活の中での
「食べる」時間がどんなものか、はっきりとつかむまでにはいきませんでしたが、太古の昔から、
民族の流入、死滅を繰返してきた中に生き続けてきたものが、アンシプーションに代表される香料なのでしょう。

胡妃の謎

 私が西域の旅から帰ってくるたびに、「あなた妙な匂いがするわよ」と友人たちから指摘されます。
自分では気がつかないのですが、西域の香料がすっかり体にしみついてしまうらしいのです。
エスニックなものに興味のない人には気の毒ですが、これほどぜいたくに旅の余韻を味わえるケースは
ないのではないでしょうか。
着物だけではなく体そのものにたきこんだ香り、なんともロマンチックではありませんか。
そういえば、明に西域から輿入れした妃は、その美貌だけではなく、
体からえもいわれぬよい香りがしたので、香妃と呼ばれたそうです。
それはおそらく西域の香料のせいだったのでしょう。
美と香りでたたえられた女の生涯は決して幸せではなかったようですが、香りが歴史を狂わすようなそんなロマンが
シルクロードに漂っていることも、私がこの地に繰返し旅をしたくなる要素のひとつかもしれません。
田村能里子オフィシャルホームページ:過去の掲載記事婦人公論

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ミルクティーのある風景

 二十代の後半、印度のベンガル州に四年近く暮らしました。
もうそれから二十年以上が経ったわけですが、今でも時折思い出す印度の光景の中のどこかには
必ずと言ってよい程ミルクティーが登場します。
日常のお茶の時間から、どこか印度国内に旅をしたときのホテルのテラスで、なんとなく旅愁を感じながら
飲んだお茶までほとんど全て同じあのミルクたっぷり入ったなんとも甘ったるいお茶でした。

お呼ばれした、英国人のお宅でも、お茶とクッキーだけがサーブされて、あとは延々と会話が弾むだけ。
そして夜半の退屈を凌いでいく彼らの唯一の慰めが、お茶なのでした。
そうかと思うと、どんな場末の茶店や、市場の店先でも、ボロボロと欠けたかわらけの器を地べたにおいて、
やかんから注ぐのは、すべて煮えたぎったミルクティーでした。
日本でも「茶の間」という程お茶好きだとは思いますが、印度ではそれが度はずれているのです。

お婆さんのジンジャーティー
 
 当時私が下宿していた家主のマリクさんの親娘も大変なお茶好きでした。
親娘と言ってももうお二人とも寡婦で、時間はたっぷりあり、まだ日の高い内からお茶の時間です。
お婆さんの特に好きなのが煮立てたミルクティーにシナモン、しょうが、カーダモンといったスパイスを
たっぷり入れたジンジャーティーでした。
疲れたといっては飲み、風邪だといっては飲み、これは万病の薬なのよといっては私にも勧めました。
暑さでボウーとした頭のてっぺんにツンとくいジンジャーの香りを、
あの時のけだるさと共に、今も鮮やかに思出します。
「こうしてお茶を飲んで、風にそよぐブウゲンビリヤを眺めながら、昼寝に入るのが私の最大の娯楽なの。
もっともあの世で長い昼寝が待っているのもそんな先のことではないけどね」
いたずらっぽく笑った彼女も、本当に昼寝に入ってから十年になり、
その娘がそのお婆さんの年になりました。
ティータイム、悠久の時間のなかで、生とも死とも喧嘩せず、ゆったりと風に任せてお茶を飲む・・・。
そんな時間を過ごすには、印度での私は若すぎたのかもしれません。
今、仕事の合間にぼんやりと口に持っていくミルクティーの香りの中にマリクお婆さんの感じていたであろう、
人生の香りといったものを漸く感じるようになりました。
お茶、それはもの悲しくも深い安らぎに満ちた時間を与えてくれるもの、
私のその原風景は印度にあるのです。

過去の掲載記事
四季の味
NO.72冬号(平成3年)