【京都小紀行  宝厳院の赤 】    日本郵船取締役相談役  草刈 隆郎

5月末、会社の同世代酒仙仲間と、一泊二日の京都行きと洒落込んだ。
短時間に、竜安寺、仁和寺、大覚寺と回って、本命は天竜寺塔頭「宝厳院」。
「獅子吼の庭」と、木の香り漂う新設の本堂に描かれているはずの、我らの友、田村能里子画伯の新作
「風河燦燦三三自在」の襖絵がお目当てだ。

 「宝厳院」は、臨済宗天竜寺の塔頭寺院として室町時代細川頼之公建立の名刹であるが、
応仁の火災をはじめ諸々の困難を乗り越えて、昨年本堂が漸く新装された。
この本堂再建は、現住職田原義宣和尚のご尽力によるものだが、田村さんの斬新な襖絵を容れたのも
また決断である。

 和尚はかねて、塔頭の襖絵は定番の「花鳥風月の水墨画」でなく、お寺と近隣の人々との親しみと
温かさに満ちた結びつきを表現したものをと求めておられたが、6年前、西安のホテルで田村能里子さん
描く大壁画に、まさに出会い、これだと思い定め、田村さんを口説かれた。
田村さんもこれに応え、1年有余一意専心し、今日の快挙に至ったという。
 それは、3室にわたり、朝、昼、夜を象りつつ、シルクロードを連想させる独特の「タムラレッド」をバックに、
33体の観音菩薩を暗示する33人の老若男女が様々な姿で佇み、実に心癒される襖絵である。
加えて、真っ盛りのもみじの新緑と苔むした「獅子吼の庭」が一段と興奮をそそる。

 旧習に囚われる事なく、女流の、それも洋画系の田村さんに委嘱された和尚の英断に
心からの喝采を送りたい。
実は、その田村画伯とは、郵船の戦後初めての客船「飛鳥」の吹き抜けに壮大な壁画を
描いていただいたご縁で、以来、ご主人ともども十数年の友である。



【京都小紀行  奇縁ここにも】 日本郵船取締役相談役 草刈隆郎

 京都小紀行を続ける。田村画伯の宝厳院の襖絵を堪能した後、
郵船OB一同は田原義宣和尚に誘われるまま、本堂に隣接する屋敷に移動した。
優美な風情漂う佇まいだ。
 「この屋敷は宝厳院運営がどうにも立ち行かなくなった大正半ば、ある方が一時買い求められ、
別荘として建てられたのです」
 90年前に建てられた建物とは信じかたい堅牢かつ贅尽くした別荘だ。
なんと、芸者さんの控え室まで設けられており当時の豪遊振りが偲ばれる。
2階の大広間に案内され、そこでお茶をご馳走になる。
 「実はこの別荘を建てられたのは、皆さんと同じ日本郵船を退職され、
今のJTBの立ち上げにも参画した、林民雄という方です。お名前くらいご存知でしょう」
「・・・・・・。」
誰も知らない。
和尚の説明に俯くばかり。
しかし内心ではみんなこの奇縁に驚愕した。
 帰京してさっそく広報で調べてもらうと、
「郵船100年史」に「林民雄氏、大正6年専務を最後に退職」とある。
往時は業績絶好調、7割配当の時代、退職金もさぞ潤贅だったろうと邪推すれば、
あの素晴らしい庭園を配した豪勢な別荘も納得がゆく。
 この小旅行にまつわる奇縁発見はさらに続く。
まもなく、同行した一人からメールが飛び込んできた。
「100年史をめくっていたら、郵船創立時14人の主要株主名簿の中に『草刈隆一』なる名前を見つけた。
まさか親戚じゃあないと思うけれど一応参考までに」とある。
親戚も何も、この人、正真正銘の母方の曽祖父なのだ。
社長・会長を務めた者が、自社の「100年史」にすらあるのに、この事実を知らなかったとは恥じ入るばかり。
でもこんな奇縁に巡り会えるから旅はやめられない。




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田村能里子オフィシャルホームページ:過去の掲載記事婦人公論

 過去の掲載記事
日本経済新聞 2009年7月1日