田村能里子オフィシャルホームページ:過去の掲載記事婦人公論

【人間発見】
「壁画に美神が宿るD」

中国・西安のホテルで第一号の壁画を制作して以来、学校や病院、駅ビル、客船、
競馬場など様々な場所で、この二十年間に四十九の作品を手がけた。

壁画はアトリエで描く場合とは違い、騒音や振動の中での作業となり、特に集中力が要求されます。
壁面に足場を組み、ローラーや筆を手に、朝から晩まで壁画に取りつく。
作業用の足場がビルの四階ほどの高さになることもあり、危険と隣り合わせのタフさも要求されます。
作品を完成させる締め切りを守らないと建築に入れず、工事の人に迷惑がかかってしまう。
まあ、「絵描き七分、とび職三分」といったところでしょうか。
群馬県の高崎信用金庫本店を手がけたときは、吹き抜けに設ける壁画は高さ十五bもありました。
足場を組んで制作を始めたものの、慣れるまでは足の震えが止まらない。
バケツや絵の具を持って上り下りしているうちに、足腰が硬直してしまいました。
大型客船「飛鳥」の乗船ロビーの壁画を担当した際も、曲芸まがいの作業となりました。
長崎の造船所で建造中の船内で制作に入りましたが、壁面に沿って足場を組むスペースがないため、
天井からゴンドラをつるし、それに画材道具も積んで乗り込みました。
上体を動かすとゴンドラが揺れ、足が踏ん張れない。
一日の作業が終わると、内またの筋肉がコチコチに固まっている。
ガラス清掃の人たちのスリルとつらさを身を持って感じたものです。

■20年で49作品手掛ける 客船では曲芸まがいの作業

こんなタフな仕事だからよく「弟子が手伝うのでは?」と聞かれますが、最後まで一人で描いています。
完成した壁画を見てくれた人たちの驚きや感激、それに作家としての快感を独り占めにしたいからでしょうか。
壁画制作の醍醐味(だいごみ)は、空間と一体化した感覚を味わえることでしょう。
だだっ広い場所で制作していると、自分がまるでその場に溶け込んだような心地よい気分になる。
それに、建築関係者が時には励ましの言葉をかけてくれたり、壁画の感想なども聞かせてくれたりします。

最近は旅行会社からの提案もあり、自作の壁画がある地域への旅を企画し、ガイド役も引き受けている。

私には「絵描きは自作の前で語ることが大切」という持論があります。
そんな風に制作したのか、どんな姿勢で描いたのかを伝え、たくさんの人と
同時代に生まれた喜びや文化を共有したい。
こんな気持ちになったのは、多くの人の目に触れる壁画に携わり、
自分自身も見えるようになったからだと思います。

■見学ツアー、自作の前で語る 人間の素晴らしさ表現

百人余りの参加者がある壁画見学ツアーを年二回ほどやっています。
壁画のアフターケアにもなるんですよ。
現地に行けば掃除をしたり、洗ったり、振動などで剥げ落ちた部分を手直ししたりする修復作業もできるから。
また壁画は嫌でも時の流れ、歴史のうねりに翻弄(ほんろう)される運命を背負っています。
日本郵船だった「飛鳥」も二〇〇六年にドイツのクルーズ会社に売却され、
欧州を中心に運航されることになりました。
「壁画の運命はどうなるのだろう」と不安が頭をよぎったものです。
幸い、先方のオーナーが壁画を気に入り、そのままの姿で就航することになりました。
新たに欧州の人々の視線を浴びるとなると、期待感とともに緊張感も覚えます。
つい「がんばれ壁画、育てわが子」と言いたくなります。
そのうちこっそり様子を見に行きたいと思っています。

 私のファンという人から
「あなたの壁画は、永遠のセラピーという役目を持っている」
と言われたことがあります。
セラピーという言葉には「本来の自分に帰る」という意味合いがあるそうです。
私も「人間って、なんて素晴らしいものだろう」というメッセージを作品を通して伝えていきたい。
私自身の壁画の旅はまだ終わりません。

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過去の掲載記事
日経新聞 2008年6月20日
ひとスクランブル 『人間発見』