画文集
被衣女群像

かつぎめのおんなたち  
印度

〈 哲学する人々 〉

「何かを決め付けることは他の全ての何かを否定することに他ならない」というきわめて単純かつ哲学的倫理を
印度ほど感じさせるところはないように思う。
 先日、日本にきた印度人の友人が、
「日本の気候は厳しいですね。それと、どこへいっても人と家とが密集しているのですね。」
と真顔で感想を述べたとき、「いや、それは印度の方が・・・」と云いかけて、
「そうなのかも知れない」と思ってやめた。
友人が来日したのが冬であったこと、又東京の近郊に滞在していたことを考えれば、もっともなことかも知れないと思えてきたのだ。


私たちは、何気なく、印度のことを「過酷な気候風土である」とか、「人口のきわめて多い国」とか表現する。
が、印度の夏はともかく(夏でも涼しいカシミール地方は別にして)、冬の間はこれほど気持ちのよいしのぎやすい日々はない。
また日本人が感じる程に、印度人は夏をそれほど暑く、苦しいとは思っていないに違いない。
一体気候の厳しさなどというものは、住んでいる人々を無視して客観的に比較し得るものなのだろうかと考えてしまう。
同じように人の多さについても、印度の農村などの、のんびりした。(あるいは間のびした)
自然の中にぽつんと人が点在しているといった光景は、確かに日本ではあまり見られないものだ。
それから年といっても人があふれかえっている部分の広がりは、印度のどの都市をとっても東京とは比較にならない。
人の多さとは、絶対的な基準(人口密度とか)とは別な感覚で受け取られるもののようである。

 以上は、一つの例に過ぎないが、印度の自然風土を見ても、森林あり、砂漠あり、高原・湿地帯ありと様々である。
そのほか、思いつくまま挙げると、「近代化」ということについても、この国では、全くの未開村から、原子力・航空機
生産までが共存している現実は、ひとことで片付けられるものではないだろう。
同様に、「豊かさ」という概念についても、途方もない大金持ちから、極貧の乞食群までの拡がりといったら気の遠くなるような格差だ。
「豊かさ」と「貧しさ」とかは主観の問題も入ってくるであろうからさらにやっかいだ。
話が横道にそれるが、先日、日本の新聞に「日本人の約七割が『生活が苦しい』という生活実感を持っている」という記事が出ていた。

ファミリーレスレストランなどで、赤ん坊にまで一人前の料理をとって和やかに談笑して言う若い家族連れなどを
見ていると、どこに「七割」がいるのかと訝かしくなるのだが。
 印度で同様なアンケートをとったらどうなるのか(もっとも対象者が難しいが)。
幾人もの乳飲み子を抱えて食うや食わずの日々をしのいでいる人を診て他の人々は
「あんな生活よりは自分のほうがましだ」と思い、「豊かではなくとも家族中心の生活が営めるということは
『これでよし』と考えるべきだろう」と答えるのではないかと思うのだ。
案外アンケートの結果は印度人の方が「生活に満足している」と出るのではないか。

 話をもとにもどせば、印度ほど多様性を感じ出せるところはない、ということになるのだろうがその多様性を
感じ取る感覚は印度人一人一人の中に沁みこんでいる。
「印度人もビックリ」というキャッチフレーズがあるが、確かに彼らは、自分が今まで断定していた事実と
反対の事実が出てきても驚かない。
なべて、「そういうこともあるさ」という態度である。
これは彼らが無意識に、物事の多様性とかに面性を認識しているせいなのではないか。
そう云えば、印度人の「イエス」は首を横に振って「アチャ」と云うが、几帳面な日本人にとっては、
印度人の「イエス」は確かに、わかり難い「イエス」に違いない。
「カール」というヒンズー語も、「昨日」と「明日」の両方の意味に使われるそうだ。
「今日」以外の「時の流れ」を一つの単語に押し込めてしまう印度人の天才に、冒頭の
「何かを決め付けることは他の全ての何かを否定すること」という論理の貫徹を見るような気がする。

〈 足の裏の記憶 〉

この間、混雑する電車の中で、したたかに足を踏まれてしまった。
犯人は若いブーツの女性で、こちらもブーツだったらたいした痛さでもなかっただろうに、あいにくとつっかけ
程度のふだんばき。
ご当人は気づかなかったのか、そのふりなのか、すましたまま降りていってしまったのでよけいに痛さが身にしみた。
 ここ数年ブーツ流行が続いている。
長い編みあげ、ファスナー付き、ぴったりしたもの、だぶだぶ、ショートブーツなど、
商魂は手を変え品変え新顔を送り込んでくる。
豊かさを手軽に味わうためのものなどという皮肉な見せ方をせずとも、確かにブーツは見た目にかっこよいだけでなく
本当に温かくは着心地も悪くない。
おまけに足の保護にもなり、良いことづくめのようなのだが、なんとなく気になるところがある。
それは、「外界と身を隔てて歩いている」という感じがすることである。
そう思って周囲のブーツの女性の動きや表情を見てみると何とはなしに冷たく無関心に思えてくる。
彼女らの表情と、長い軍靴を履いた兵士たちの行進のそれとがだぶって見えるのは、
貧乏性の自分の思い過ごしかもしれないが・・・。

 ところで、印度の履物は同じ皮製でも「チャッパル」という一枚板のような単純なもの。
もちろん足の甲は丸出しで、路面のでこぼこから、小さな石ころでも足の裏にその感触が伝わってくる。
今日の湿気は嫌に高いなと、足の甲が感じている。
「チャッパル」で歩いていると、大地のその場所に自分が大自然の一部として密着している実感がいやでも沸いてくるのだ。
 足の裏の記憶は、時としてどの五感より鋭敏で正確である。
街の中でバザール(市場)に行く途中、またがなければならなかった黒い水溜りの不吉さ。
一方、先年タール砂漠地方を旅した時、足の指や土踏まずに絶えず入り込んできた流砂のこそばゆい感覚は、
チャッパル以外の履物では思い出の一かけらにもならなかったに違いない。
 
 もっとも足の裏と大地との関係では、当然のことながら、裸足にかなうものはない。
印度では農村のみではなく街の仲でも裸足の人々を沢山みかける。
バザールの物売り女たちは例外なく裸足でしゃがんでいる。
きっと彼女らの足の裏は、硬皮になっていてすでにチャッパルを履いているのと同じかも知れない。
その自前のチャッパルで地面をしっかりと?むように指先に力を入れてしゃがんでいる姿を見ていると、
「大地に根を生やすように生きている」などという形容が薄っぺらなものに思える程、
本当に根が生えているように見える。

 もっとも柔な私の足の裏の記憶は、意気地のないものしかない。
街の中央にあるヒンズー寺院は、死期を待つハンセン氏病の患者の集う場所でもあった。
寺院へのおまいりは、裸足で上らなくてはならない。
白く生暖かい大理石はうっすらと埃をかぶってざらついている。
が、そこからご神体につ続く道すじだけが当然のことながら参拝者たちの足脂でべとついて光っていた。
その光を見た時ふと足の裏が感じてしまった戦慄は、私を一瞬ひるませ、たじろがせた。
しかし何か強い力が私に歩ませおまいりをそのまま終えさせた。
その時、不信心な私にも「信仰」という言葉の意味を私に実感させたのは、
私の「頭」ではなく「足の裏」であったように思う。


〈 時のない河 〉

柔らかい日差しは ない
赤土をひび割る 矢じりがあるだけ
優しい雨は ない
水牛黒肌を打つ 鞭があるだけ
穏やかな風は ない
ヤシの実を砕く 魔王の手があるだけ
きらめく言葉は ない
夕暮れにひしめく 衣ずれのたかまりだけ
昨日と明日は ない
黄土に澱んだ ひとすじの河だけ
そして その水底に人々は
秘めやかに 生きている



〈 道をたずねる 〉

誰かに道をきかれたとする。
自分では確かに判っているつもりで自信を持って教えた筈なのだが、何かしら大きな勘違いがはさまってしまい、
結果的に全く反対の方向を教えてしまうことがある。
そのときの気持ちはというと、申し訳ないことをしたと言うのが半分、後は正直言って人を迷わせたと言う快感が半分と言うところではないか。
 
 もっとも昔読んだ推理小説に山道をわざと迷わせてしまう方法の殺人もたしかあったし、意識の底で
「迷ってもしかたたがない」と思うこと自体「未必の故意」と言うややこしい法に触れることがあるそうで、
道は正しく教えるに越したことはない。
ただ日本人の場合は、一般的に「うろ覚え」の場合はむしろ「判らない」とか「さあてね」とひるむ人のほうが圧倒的に多い。
「そこに交番があるから聞いてみたら」といった類の返事をされると、かえって教えてもらったこと自体に
ありがたみが感じられず、なんとなく冷淡にされたような気持ちになってしまい、素直に礼の言葉が出てこないことがある。


 ところで印度の街角で道をたずねたことのある人は「知らない」という返事には殆ど出会ったことがない筈である。
例えば牛ふんをを燃やす煙が低くたれ込めるある夕方、路肩に蹲っている老婆に道をきくとする。
彼女はまず尋ねた人の風体と表情をうさんくさそうにのぞき込んで、ぶつぶつ独り言を言うように
「それあっちじゃ」と曲がった人差し指を突き出す。
(地獄に仏とはこのことだ)と丁寧に礼をいい、催眠術でもかけられたように、煙った街並みのその奥に踏み込むと、
もう必ず迷い込んでしまうのである。
ひどい時には、何人もの人に礼をいいつつ、あちこち曲がりくねった挙句最初の老婆の辻だったりする。
 
 印度では、老婆に限らず威勢のいいお兄さんでも誰でも道を教えてくれる人には一向にこと欠かない。
むしろ親切が通り越した「教え魔」が多い程である。
彼らの「教え魔」ぶりは「道順」だけに限らず、生活百般に亘っていることが、此処で生活すると判ってくる。
どんなことでも聞かれたことに対しては弁舌爽やかな回答が返ってくる。
それでも「道順」と同じように他のことにしても、決して「正確」に教わったためしがない。
大抵の場合は「全くの間違い」ということはなく、「おおよその正しさ」か「部分的な正しさ」であり、百パーセントの
正しさを期待しがちな日本人は裏切られることが多い。

 何度かこうした苦しい経験を積み重ねてくると彼らの「無意識の真意」がわかりかけてくる。
それは決して「未必の故意」などという底意地の悪いものではなく、彼らにとって肝心な要なのは「教えること」
なのであって「教えた結果」の方ではないということである。
悠久のときの流れの中で、一時右にいこうが左にいこうが、大差ないのではないか、白を白、黒を黒と
決め付けることに何程の意味があるのか、といった観念(というより生活哲学といった方がよいのかもしれない)が
体の奥底まで、くまなく沁み込んでいるのだ。
そうしたアローワンスの大きい気の持ちようからは、一種独特の「ゆとり」と「優しさ」がうまれるようだ。
その余裕が彼らをして道をたずねる人の「迷い」とか「焦燥」をまず取り除いてやろう、どちらかの方向へ
開放してやろうとする行為へと駆り立てるのではないかと思う。
これが「アローワンス」とか「アバウト」という概念に弱い紋切り型で几帳面な日本人にはまさに「親切が仇」となるのである。

 そういえば、この土地が産んだ釈尊は、この世の中の意味は、と問われ、「自分がそのことには答えない、
それよりも、人のみに生まれながらに突き刺さっている毒矢を抜くことが自分の教えである」と答えたという。
なるほど、六億の釈尊の末裔をかかえるこの土地で、道順のようなちっぽけなことを聞くことなどかなわぬ
道理かと不信心な私も納得させられてしまうことである。


〈 季節の中で 〉

 春になると精神的に不安定になる人が多いという。
狂わないまでも花見頃になると、やたらとくしゃみや鼻水が出たり、アレルギーを起こしたりという人は案外周囲にも多い。
桜の花が代表するような平凡な季節に、頭や体の変調をきたすというのは何か医学的な根拠のあることなのだろう。

 春と狂気の図柄というのは、桜花のしたの狂女とか狼藉とか、日本では古典的な表現のようだ。
だから春は「感じやすい季節」とか「血がむずむずする季節」だとか、何か人間の青春時代と対比したような表現が
一般的なのだが、私の経験(?)からすると、春はむしろ、「味気ない季節」である。
何もあまのじゃくぶっているわけではないけれど、私が印度で数年間を過ごした後、日本へ帰ってきたころが調度桜の真っ盛りだった。
春という季節を何年も持たなかったせいか、久しぶりの春は私にとって何となくぎこちない、とまどってしまうような季節だった。
そして間なしに夏が来た時、はじめて自分の本来の感性を取り戻したような気がした。
それ以来「春」は私にとっては何となく眠って過ごしてしまいたいような、中途半端で余計な季節となってしまった。

 印度は冬の次には、いきなり「夏」がくる。
そよ風に、くしゃみや鼻水をたらす間もなく、脳天をカナヅチでたたかれるような日差しがある日突然しのび寄ってくる。
「カラープジャ」とか「水祭り」とか呼ばれる行事はその訪れを告げるものだ。

 体中に赤や青の色粉をかけ合い、水でぐしょぐしょになった異様な姿をみてお互いさわいだり、笑い狂う人達は、
自らを狂気に駆りたてることによって、過酷な太陽の下で、「正気」を保とうとしているのだろう。
 全ての思考力を奪い、感性をしびれさせるようなこの季節は、私にって「身構えるべき相手」であった。
額から流れる汗をぬぐいもせずに、ひたすら何かに集中するうちに、氷のような忘我に至った気がしたのは
自分が狂っていたせいなのだろうか。


〈 崖っぷちの理論 〉

 印度でデッサンのためにモデルを雇っていたときのこと。
「必ず明日また」という約束を何度すっぽかされたことか。
予定していた時間にモデルが来ないとなると一日のスケジュールは大狂い、焦々したり、腹をたてたりするものの、何の連絡も一向に入らない。
翌日ひょっこり来るかもと思って待っていてもその気配はなく、もう「来る気はないのだな」とすっかりあきらめ切って
他のモデル探しなどしている頃、必ず現れるのだ。
日本ならすっぽかした当人が現れる時はひたすら低姿勢で「こんどごちそうしますから」とかいって手を打つことになるのだろうが、
印度ではそうはいかない。


 まずご当人は至極当たり前の顔をして「一週間後の明日」に現れる。
そして知れがあたかも約束通りの「明日」でもあるかのようにごく自然に「昨日」の続きのポーズをとり始める。
この一週間の空白は夢か幻かと錯覚する一瞬である。
侘びとか言い訳はさらさらないし。


 こらをとがめ「汝はなぜ約束を破りしや」と切り出そうものなら、大変な論理が展開される。
まぞ「我に約束の覚えなし『できれば明日』という希望を述べたのみ。その希望はいかにして達することが
できなかったか。」という説明に始まり、例えば「急な病にて床に伏し、汝に知らせる電話のてだても、
車で人を送る方途もなく、ただただ病床で苦しんでいたのだ、ほれ、このとおりやせてガリガリになってしまった
(ナルホド、もとからとはいえ、痩せこけている。)同情こそされるべきで、とがめを受けるなど、とんでもない。」
と、この辺ですめばよいのだが、調子づくと「汝はなぜかのような我の窮地を案じることなく徒らに時を空費やせしや。
人のみを想う心の一片さえあるならば、花束の一つでも持って見舞いにこそ来るべきを。」と、諭されることも珍しくない。
「何を口から出まかせを。」
と怒り心頭に達する人はこの地を去らざるを得ない。

 なぜなら、他の誰彼を雇ってみても皆大同小異であり同じ怒りを覚えるだけだから。
一方、印度という風土の中で彼らの置かれている環境、条件などを考えてみれば、満更の出まかせでもないと
思えてくるし、そういえば「見舞」のことなど露ほども頭にのぼらなかった自分はやはり冷淡に過ぎないのかなと
寛容に応ずることのできる人は、この血で生き延びる資格を得たと云える。

 失業者の氾濫しているこの土地で彼らの「職を守る」論理はきわめて強靭である。
例えば皿を割ってしまった使用人も主人には絶対に謝らない。
「この皿は格別に滑りやすい。」とか、「風が運悪く台所に吹き込んできて立てかけていた皿が割れたのだ。」とか、
ありとあらゆる理屈を立てて懸命に抗弁する。
謝るということは「失職」「減給」に直結しているからなのだ。

「何もクビにしようと言うのではないけど謝らないのは可愛気がない。」
と日本人は考えるのだが「可愛気」なんか発揮している余裕は彼らには逆にないのだ。

 しかし、不思議なことには、印度の社会は、こうした「寛容」と「厳しさ」が見事にバランスされている。
例えば「インドタイム」などと彼ら自身が、時間の遅れを和やかに許しあったりしているのを見ると、
何か日本人にはない「ゆとり」にも見えてくるから不思議だ。
もっとも「インドタイム」に腹の立たなくなった日本人のビジネスマンは、もはや日本の社会では
通用しないというのも事実のようであるから、要は、国際人としての使い分けが肝心というところになるのだろうか。





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